15.人の欲望も清浄なる菩薩の心境です
禅僧同士のやりとりです。
「千手観音が多くの眼や手を持っておられるのはどういうことでしょうか」
「眠ったままで枕の在りかを探すようなものだろう。あなたはどう思うか」
「それは全身に眼と手があるということでしょう」
「しかしそれでは九分の答えだ。つまりは全身残らず眼と手だらけということだよ」
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私たちは自己の利益を目的に行動しているのが常です。
他人に手を貸したり協力した場合でもどこかに利益、見返りを求めているのものです。
しかしこれは人間が生きていく上でエネルギーとなっているも確かですよね。万人に共通した感情です。欲が無くなってしまえば人は生きていく意欲を失ってしまうでしょう。
私たちが眠っているとき枕を探すのは全く無意識の行動です。
この時のあなたは枕を探す手だけの存在で他の何者でもないということ。
観音さまが全身眼と手だらけと言う表現はこの状態を言っています。
救いを求める者の声を聞けば何の損得勘定なし-寝ていて無意識に目的のみの行動をしているよう-に動いて下さる姿です。
仏教では仏の慈悲から生まれる欲を大欲、衆生が持つ見返りを求めているものを小欲と呼んでいます。
生きているかぎり欲望と縁を切ることの出来ない私たちは大欲を抱く機会を少しでも多く持つ努力をして生きたいものです。
この時の心境は菩薩の位にあるのですから。