4.こだわりは心の足かせとなるー2
法句経(ほっくぎょう)というお経はお釈迦さまの教えを「真理の言葉」として綴られた教典です。
その中の一節に、
「衛師迦(えしか)が、萎める華を振ふが如く、是の如く、諸々の比丘は貪と瞋とを離れよ」とあります。
衛師迦とは花の名前で、この花がしおれた花びらを自然に落としていくように、貪りや怒りのこころが湧いてきても捨て去れ、という意味です。
自然とはすばらしいもので存在するすべてに見事な知恵が与えられています。
きれいに咲いていた花々もやがて時期が来ると色あせ、しぼんできます。
でも花木はそれを悩みません。
花びらが朽ちておちるとその下にはやがて、新しい自分の命を抱いた実や種が生まれ出てくるからです。
もし、花びらをいつまでも保とうとしたらいつになってもそれが手に入らないことを知っている、いや悟っているからです。
諦めると言う言葉がありますね。もうこれ以上、前進することを止めるというマイナスの意味合を持ちますが、仏教ではイコール悟りを指します。
あきらめは「明らめ」るという解釈ですね。
いまある自分の状況を明らかに判断し対処する、それが諦めるということなのです。
私たちは日々、悩みや障害に直面するとなんとかして解決しようとしますが、それは悩みそのものに執着し過ぎていて解決への道が閉ざされていることが多いものです。
そんな私たちを尻目に花々は知恵を働かせて充ち満ちたわが人生を送っているわけです。