18.『中途半端』がさらなる『中途半端』を連れてくる
老婆よ、地獄に堕ちろー
ナニ!! 尊敬と感謝の気持ちを表すべき人生の大先輩に対して何という言葉を… とご立腹の方もおられましょうが、そんな気持ちは毛頭ありませんので御安心くださいませ。
それは中国唐の時代のことです。
禅僧を訪ねる一人の老婆がいました。そして質問します。
「仏教では、女性はどう頑張ったところで仏にはなれず、苦しい生死の海から脱けだすことは出来ないと聞きます。いったいどうすれば女である私は救われるのでしょうか」と。
これを聞いた和尚は有無を言わず即答します。
「わたしはね、あんたが永劫この苦しみの海に沈むことを願っているよ!」
まことに冷酷無情の答えです。人を救うべき立場の人の言葉とは思えませんね。
そう、でもこれは本心ではありませんでした。
ここで、気休めとなる言葉をかけたとしても、ひとつの安心からまた更なる疑問と不安が生まれ出てくることを認識させたかったのです。煩悩の連鎖とでも言いましょうか。
老婆の何とかしてこの苦悶の世界から脱けだしたいと思う心がいつまでもその状態に縛りつけていくことになります。 人間、さまざまな状況にあってもその中に身を置きっぱなしでは何の変化も生まれません。とにかく足の着くところまで落ちてみることです。そこでようやく自分の取るべき動きが生まれて来ます。
『老婆よ、地獄に堕ちろ』はそのまま、
『落ちる所まで落ちてみなさい。それがいちばん楽になる近道ですよ』
というメッセージとなります。
これは思い遣りの心を込めた仏の言葉だったんですね。
どん底と言いますが、ここに堕ちて人間初めて足が地に着くんですね。ようやく歩き始めることが出来る状態に落ち着きました。人生の結末ではなくスタートですよね。