光野浩一、某日の記憶のかけら。月一回、一日分のみ掲載。
July.7th.2011
仕方無いとは十分判っているが漏れてしまう。 これは蛇の生殺しだ。
やりもしないテニス肘で傘を持って立ち通し、それが京都の過ごし方なんて。
駆け込みの昼食でようやく憧れの一杯。名園の緑が目に眩しい。
こういった感情は、その土地に住む人にとっては奇妙なものなのだろうか。日頃そうやって見過ごしているものが自分にもあるのだろうか。
たまにしか聴かないようにしているフェイバリット、自分にとって京都の珈琲はそんなものかも知れない。