10.ならば食わないでおこう─足る者はすでに富めり

 

 山寺でのこと。米びつが空になったので弟子が和尚に報告しました。

 するとただ一言

「ならば、食わないでおこう」

これには弟子も口にする言葉がありません。

 

 ある時、寺を継ぐことになった若い僧が知り合いの老僧に相談しました。

 「私は貧乏寺を継ぐようにいわれていますが兼職でもしなければ食べて行けません。どうしたらよいものでしょうか」

 

 「それでいいではないか。食えなければ食わなくても良かろう。そもそも高祖以来、寺で食える保証は何処にもない。寺は食うための場所ではないのだ。一握りの米も頂けなくなったら誰を恨むことなく静かに死んでいくばかりだ」

 ◇       ◇       ◇

 

 私たちは、生まれた時から天より何もかも一生分を与えられていると言います。

 より以上を求めても手にすることは出来ないと知ることが大切なのでしょう。

 欲の深い私たち人間にはとても難しいことですが、今日与えられた物が、量が、中身が、今日の私にとって十分に有り難いと感じるべきことを示しています。


 今、この私に与えられている寿命や縁を、日々大切に精一杯生きていれば生きるに足る保証はされているということです。

 

 自然界にあって必要以上の獲物を求めない動物達の行動はその実践そのものでしょう。

 限りない空腹感を追わない、そして追われない。

 それは自然の恵みのままに輝きながら生きている姿なのです。

 

「足るを知る」一それは悟りの境地なのです。