紅い華


青学や氷帝と比べると古い感じは否めないのだが、腐っても(?)私立。
山吹テニス部にだって、部室にシャワー室がちゃんとある。
しかし、そこはそれ。
ややガタが来てるのも本当の話で。


先にシャワーを済ませ、これでもかというくらい汗をかいていた東方もさっぱりとした面持ちでTシャツを着込んだ時だった。
「うわーちょっとちょっと!何、止まってってばっ!」
めずらしく慌てた千石の声がシャワー室から聞こえてきた。
ぎゃーぎゃー騒ぐ声も止まらなければ、シャワーの流れる水音も途切れない。
それどころか水音は激しくなっているような気がする。
隣で同じように着替えていた南と顔を見合わせると「あ!」と思い当たって、シャワー室へと急いだ。
バン!と大きな音をたててシャワー室の扉を開けると、もうもうと立ち込める湯気の奥から千石が顔を覗かせた。
「どうしよー壊れちゃってるよ、コレ!」
汗を流し栓を締めようとしたところ、パキっというちいさな嫌な音がしてお湯が噴き出してきたというのだ。どうやら錆びついていた箇所が水圧に耐え切れなかったらしい。
ザァーっとお湯が降り注ぐなか、千石は両手でその場所を抑えどうにか噴き出すのを抑えようとしているがあまり役には立っていない。
「・・・南、たしか防水テープがロッカーに入ってたはずだ。持って来てくれるか?」
音をたてて流れていく湯を呆然と見ていた南に東方が声をかける。
はっと我に帰った南は頷くと慌ててシャワー室を出て行った。
「あー噴き出てくるのがお湯で助かった!水だったら夏場でも考えるけどねぇ」
決壊してるところを抑えた恰好の千石が呆れたように呟く。
「だから伴爺に新しくしてって言ってんのにー」
東方もそう思うでしょ?と訊かれて、笑みを返す。
「『ラッキー千石』のラッキーはどこ行ったんだ?」
「えぇ?そういや今日はカウントダウン最下位だったような気がする・・・・・・」
ずーんと千石が落ち込んだところに南が防水テープを片手に戻ってきた。
受け取った千石が悪戦苦闘しつつ、どうにかこうにか巻き終える。
お湯の噴き出しが止まり、千石はもちろん南も東方もほっと息をついた。


南が応急処置を施した箇所をじっと覗き込み、誰ともなしに訊く。
「これで明日まで持つかな?」
「明日?今日中に見てもらったほうが良くない?」
噴き出した時の迫力を目の当たりにしている千石が眉を顰める。
そんな千石に南が肩を竦めてみせた。
「んなこと言ってもなー。時間考えろよ、最終下校まで後何分だと思ってんだ?」
「えぇ?けどさー・・・」
怖々と防水テープで不恰好な、笑えるほどこれでもかと巻いた箇所を見詰めて千石が納得いかなげな顔で呟く。
「じゃあ一晩中見張り番するか?」
「なっ!あのね、南――」
「あ。やべぇ俺約束あるから先帰るぞ」
「え、こらー!」
「ああじゃあな、南」
あっさりと東方が応える。
にこやかに手を振ってシャワー室から消えていった南を恨めしげに見送って、千石がため息をついた。


「なんか今日の俺サイアク?」


がくりと肩を落とす。東方がそんな千石を見兼ねて近くにあったバスタオルを放る。
「とりあえず身体拭いとけ」
夏場だといっても日が暮れれば、だいぶ空気も涼しくて。濡れたままだった千石がぶるっと体を震わせたのを見て少しだけ慌てた。
それでなくともまっさらな素肌に滴を弾かせ、濡れた髪をそのままに上目遣いに見られると変な気を起こしそうになる。
「あ。うん、ありがとう」
素直に礼を言うと千石は受け取ったバスタオルに包まった。
風邪をひくといけない。そう心配したのも本当だが、あっさりと薄青のバスタオルに隠れてしまった白い裸体が惜しかったのも事実で。
身体を拭いている様をじっと凝視していると視線に気づいた千石と目が合った。
ふわりと千石が笑う。
踝の下あたりまで溜まったままの、まだ排出しきれないお湯をザバザバとかきわけ、東方は千石へと近づいた。
片手を千石の後ろの壁につき、空いたほうの手で千石の濡れた項を引き寄せた。
「――ん・・・!」
重なった唇の間から千石の掠れた声がもれて東方の耳にそれが届く。
少しだけ潤んだ瞳とぶつかって、理性の紐が切れたのを他人事のように感じた。



*



応急処置したパイプをおっかなびっくりしながら見やりつつ、ベタついた身体をもう一度シャワーで流した後、ロッカーが並ぶ更衣室のほうへと移動した。
東方がロッカー横の設えられたくたびれて見えるソファに千石を後ろから抱えるようにして座る。他の人間がいるときには絶対にしないがふたりきりの時は大抵こんな感じ。
身長差のおかげですっぽりと腕の中に収まる千石の首筋に東方はキスを落とす。
くすぐったそうに身を捩る千石が「そうだ」と思い出したように東方を心持ち振り返った。
「何?」
首筋や耳へキスを落としていく東方が視線で問う。
言いにくそうに千石が視線を彷徨わす。大抵なんでもはっきりと口に出す千石のその珍しいというか、らしくない行動を訝しく思いつつ東方はじっと待つ。
素肌に羽織っただけの白ランを肩から二の腕あたりまでずらすと情事とシャワーとで火照って淡く色づく肌へ口づけた。
びくりと体を震わせた千石が更に言いにくそうに、えーとかそのとかぼそぼそ言っている。
「どうした?」
千石の細い腰を抱きしめていた腕を解くと口篭もる顎に手をかけ、きつくならない程度に自分のほうへと顔を向けさせた。
はたと目が合ってしまった瞬間、かっと千石の頬に朱が上る。


「?」
それこそ今更だろう。
先ほどまで腕の中で散々喘いでいたのはどこの誰だ。


胸中で可笑しくそう思っていると、耳まで赤くした千石が泣きそうな目で東方を見詰めてくる。
恥ずかしさのせいなのか、潤んだ瞳とぎゅっと結んだ口元。
その表情に東方の身体はどくりと波打つ。若い身体は1度や2度イッったくらいじゃ収まらない。また千石の体に負担をかけるな、そう思って自嘲めいた笑みを浮かべた東方のその顔をどう思ったのか、千石が「あのね・・・?」と言いづらそうに口を開いた。
「――・・・・・・・・・・・・
「え?」
聞こえない。
千石の口元へ耳を寄せる。
「何?」
「・・・・・・・・・・・・キスマーク、つけて
蚊の鳴くような声でぽそぽそと呟かれた台詞。
何を言われたのかわからなくて、ぽかんとして千石を見詰める。
「どうした突然」
「・・・・・・・・・・・・」
「いや、別に嫌とかで言ってるわけじゃないぞ?」
けど、なんで?
千石は今までつけろとも、つけるなとも言わなかった。また東方も自分から進んでつけることもしなかった。
鮮やかな鬱血。所有の証。
憧れたとまではいかなくとも男なら一度はやってみたい、そのシチュエーション。
千石の白い身体に散らしたら、さぞかし綺麗だろう。
「千石?」
「あー・・・ほら、南がね?」
「は?」
落ち着いてきたのか、俯き加減に千石が話し出す。
南が、何。
赤い顔をしたままの千石の肩に顎をのせて、東方が先を促す。
「うん、だからさ。南が最近よくつけて来るじゃない?あれ見て・・・亜久津に愛されてるんだなーって」
羨ましくなっちゃったんだよ!千石がやけっぱちに言い放った。
確かにここ最近多いなとは東方も思った。
外見は冷たい、鋭利な刃物を思わせる亜久津。一途に思いを寄せていたらしい南を手に入れてからもそれは変わらなかったが。けれど、そう見えて意外と嫉妬深かったりして。誰彼構わず優しく人のいい南がつけこまれないよう、所有権は俺にあるのだと人目につくところにわざと痕を残す。
常識のある、悪い言い方をすれば古臭い頑固な一面を持つ南がそんな事をされれば、いくらあの亜久津相手でも殴るくらいはするんじゃないかと思った。
けれど南はしょうがないなと口では言うけれど、見せる表情はどこか嬉しそうで。


まぁ南としてはつけて来る、んではなく。
つけられているんだろうが。


「だから、俺も東方のもんなんだよって誰かに見せつけたかったの!」
千石は真っ赤な顔をしたまま俯いて、ぶちぶちと言っている。
「・・・・・・いいのか?」
「・・・・・・うん」
東方だってつけたくない訳じゃない。
ただ、千石とはずっと一緒に歩いて行きたい。凭れかかる凭れられるだけじゃなく支えあう関係。対等にいられる立場。
それを維持していくのに、俺の所有ブツだと言うほど東方も胡座をかける筈がなくて。
それくらい大事に想ってる。
そう伝えるためにあえてつけたくなかった。
「東方がどう想って、今まで俺につけなかったのか・・・わかってるから」
「・・・・・・ああ」
「けどね?俺は東方のモノだって、東方は俺のモノだって言いたい時があるんだ」


伝えるのは言葉だけじゃなく。
態度や行動、そして証も。
必要なんだ。


「だから、つけてよ」


笑って言う千石にキスをする。
甘い甘い空気。
我侭を言いあえる仲っていうのもなかなかに甘くて、嬉しくなるものだとわかったから。
「ん?」を首を傾げて待つ千石に東方がにやりと笑ってみせた。
「つけるだけじゃ済まなくなるけど、それでも?」
え、と一瞬息をのんだあと。
言葉の意味がわかったらしい千石が挑むような笑顔を東方に向けた。


「――・・・上等!」


くたびれたソファに鮮やかなオレンジ色の髪が散った。