Past days 2016

2016年某日の記憶の欠片

2016

Jan.10th.2016

福岡・アートスペース貘

 

 

目的は『透明な呼吸』 村上 勝 × 小林重予。
昨年亡くなった村上さんと、北海道在住でこことも縁深い小林さんのコラボレーション。

 

村上さんの生前のメモを基に、オーナー小田さんが腕を振るった最高の展示。お二人の作品の良さを熟知しているからこそ創れた空間。
明るく清浄な密林で生命の神秘に出会う、とでも言おうか。
濃密な時間に絡め捕られていつまでも去り難かった。

 

小林さんの作品を購入。まだまだ欲しいところだが、多くの人の手に渡り、それぞれに魅力が語られ継がれることこそ大切だ。ここは堪えるか。

 

 

夜は近くに良いBarを発見。静かに過ごす。

 

 

Feb.12th.2016

Yoshino&Masae+ BIG CRUNCH 都城MU-ZAライブに酔う。

 

BIG CRUNCHはベース+ギター+サックスの3人編成のインストバンド。

 

 

ベースのコダマリュウゾウ氏は小・中学校時代を共に過ごし、以降もたびたび家を行き来していた旧友。自分が音楽に興味を持ったのも彼の影響大で、中学時代には一緒にバンドを組んだ。

 

 

当時からチョッパー冴え渡るハードパンチャー。
強いプロ指向を持っていた彼は東京でスタジオミュージシャンとなり、片や自分は現代美術に生きる楽器マニアとなった。メール等のやりとりはあったが、顔を合わせるのは実に32年振りである。

 

 

身内贔屓や社交辞令抜き。素で大興奮の素晴らしい演奏だった。3人てんでに弾きまくるように見えて、音はがっちり組んでいる。目が潰れるかというくらいの強烈なグルーヴ。予定調和など微塵も感じられない、スリリングな音の壁に圧倒されるばかりだった。

 

褒め過ぎ?違うとも!

 

 

Mar.21st.2016

鹿児島・岩﨑美術館。

 

そう言えばノーチェックだった、という無理矢理の好奇心が車を走らせる。

 

 

7・80年代のテイスト漂う造り・収蔵品。艦内の静寂は時が止まったかのような錯覚をもたらす。この時代感はどこから来るのだろうとたびたび考えるが、恐らくはモードとの関連が最も密接に見える時期の造形だからかも知れない。

 

うってかわって別館・工芸館は、アフリカを中心とするプリミティブな世界。土着の巨大な神像が立ち並ぶ光景に思わず怯む。

 

不可侵の緊張感と土の匂いの温かみの混在。

 

 

ここは老舗ホテルの敷地内。宿泊でロケーションを味わいながらの鑑賞なら、何か発見があるだろうか。

 

その時間は取れそうにはないが。

 

 

Apr.12th.2016

海沿い、シンプルな造りのカフェ。

 

小島が見える。箱庭のような集落が微笑ましい。

 

豆粒のような釣り人。ここにも暮らしがある。

 

 

薄曇りの長閑な一日。

 

 

May.8th.2016

冨田勲氏の訃報を目にして言葉を失った。

 

美術の世界に身を置く自分ではあるが、芸術家の精神や職人気質について目覚め、理解したのは冨田作品との出会いによる。

 

超絶技巧によるパッチング、気の遠くなるような何重もの録音、ノイズ変調を得るための遠隔地オンエア、金管を通した共振録り、多チャンネルによる音場の創出、恒星の電磁波の音源化、vocaloidを指揮者に合わせる、など彼の想像力の幅広さや制作の工夫・労力を示すものは枚挙に暇がない。

 

先駆的なシンセサイザー奏者・大作曲家など肩書は多いが、それらすべては理想の音楽のために探求の手を緩めない冨田氏を断片的に語るものでしかない。CG・河口洋一郎氏とのコラボレーションやアルス・エレクトロニカ等でのサウンド・クラウド演奏など現代美術との関わりや造詣も深く、旺盛な好奇心に舌を巻いたものだ。

 

ついにお会いできたのが3年前のかごしまアートフェスタで講演にいらした際。

 

写真と握手に応えていただいた感激は忘れられない。 東京五輪で音楽を担えるのは冨田氏!と思っていたが、神様はその贅沢を許さず、天上の音楽のために痺れを切らしたのだろうか。

 

 

最初に耳にして以来38年間、感動と憧れをありがとう。

 

 

June.4th.2016

用あって宮崎市の老舗百貨店へ。

 

 

度々気になる年代感はここでも感じることがあり、面白く思うのだが、今回は思わぬ発見。
東郷青児の大作があったとは!

 

 

特に好む作家でもないが、豊かなグレーが美しい。
決して良くない扱いや、絵の具の剥落が宮崎らしい残念さだ。

 

画家に店内装飾や包装紙などのデザインをさせたあたりが百貨店の古き良き時代性なのだろう。

 

そう言えば、福岡市・岩田屋店舗の入り口にあった、美しい壁面装飾。岡田兼三の手による、あの傑作は失われてしまったろうか?

 

 

Jul.16th.2016

携帯嫌いといってもデスクトップでこなすのは野暮用ばかりでなかなか落ち着かず、FBはサボり気味。それでも制作はぼちぼち。

 

「この世界も捨てたものではないということを確認することは出来ても、アートに世界は変えられないではないか」とは昨年の個展で出た話題。
自分自身、問題の解決を目指して制作をしているけれども、実は問題意識をゆらぐままに留めておくこと自体が重要な関心事だ。

 

 

心に一曲がある・ひと筆が響くというのも、とても小さいことのようで、世界を確実に更新している。

 

 

Aug.18th.2016

福岡より戻る。

 

いつもは北九州市美など、人の少ない中でゆったりと鑑賞を楽しむ盆休みなのだが、今年そうはいかなかった。
改装による休館や漫画・アニメ関連の内容が多く、中には内容の重複も見られた。ホテルでも暇にあかせて結局仕事という野暮な過ごし方。

 

それでも外さず観たのが、この夏最後となる久留米・ブリヂストン美術館、そして同じくリニューアル前最後の福岡市美術館。

 

ブリヂストンは生前母が愛した場所でもあり、盆参りも兼ねる。これから久留米市美にはどう変貌するのだろう。

 

福岡市美、「Doing history」はかなり良い企画だったと思う。「学芸員が作家に混じってインスタレーション!?」と一瞬考え込んだが、福岡市美の歴史や立ち位置について学芸が作家と同じ方向を見つめ、展示を並列したところ、それぞれが近接して見える結果になったといった方が正しいか。
見慣れた場所に対する新しい気付きと、愛着の再確認とがぴたっと合わさった感じが気持ちの良い展示だった。同時に、このようなスタンスで成り立つ企画があるのかと驚き、考えさせられた。

 

ありがとう!福岡市美!

 

 

Sep.23rd.2016

福岡天神。

 

まだまだ暑いが、街の装いは秋めいてきた。
とにかく取っておこうと備えたホテル。大きなイベントはないが、出掛けることだけは決めていた。

 

 

市美に入れないのは寂しい今、ここは新規開拓だ。初めて出掛けた九産大美術館で「美の鼓動」展を観る。
それぞれ大きな展示ではないが、バラエティに富む内容。顔見知りの活躍も嬉しく、楽しい鑑賞になった。

 

それにしても、良い環境だ。望む進学は果たしたが、縁がなかった場所でもない。もしここで過ごしていたら、どんな学生生活を送っていたろうか?

 

 

ノープランのそぞろ歩き、旅番組並に面白いスポットに行き当たる訳ではないが、これも良いではないか。

 

 

Oct.8th.2016

鹿児島 CAPARVO HALL。

 

そうか、誕生日は次からの一日を生きるフェイズなんだ、と気付いたのがKIRINJI・鹿児島ライヴの2曲目、「今日も誰かの誕生日」を聴いた時。

 

脱退した弟・堀込泰行のボーカルが映える極上のシティ・ポップスを兄・高樹が歌い上げる様に思わず感涙。粗削りなセクシーさが持ち味だった声質に、弟を凌ぐ繊細な表現力が加わっている。

 

前回から2年。やはり彼らのライヴは文句無しに愉しい。ニューアルバムはラップからアフロ・ボッサ、クラシックからアイドルポップスまでカバーする幅広さだが、その一曲一曲を眼前で編み上げるように演奏する。

 

ナマならではのアレンジも見事だが、とにかくコーラスワークが美しく、圧倒される。特に嬉しかったのは「GOLDEN HARVEST」、ソロ作からの「涙のマネーロンダリング」、そしてオールドファン驚愕の「P・D・M」!
フルートが絡むメロディーラインに仕掛けた裏切り。今回は『日本一忙しいギタ女』・弓木英梨乃のバイオリンが冴える。
彼女と言えば「Mr.BOOGIEMAN」。これは楽しい。楽し過ぎる。キュート!サポートメンバーは元CYMBALS・矢野博康。これもまた嬉しい。

 

ラッパーのゲストを迎えることなく、全員でパートを回して盛り上がる「GREAT JOURNEY」、ギター鳴きと声とで「ニャー」が乱れ飛ぶ「ネンネコ」まで大充実の2時間半。堀込高樹、恐るべし!恐るべし!KIRINJI!

 

 

Nov.20th.2016

鹿児島・久し振りの霧島アートの森、宮島達男展。

 

以前、アルティアムでの過去作を観た時、「ミーハーだなあ」と思った。それは決して馬鹿にしている訳ではなく、現代美術に出会い、刺激を受け、ひと通りを実践してみるといった学生時代の血の滾りや軽みに対する共感だ。

 

様々な表現に憧れつつも拘りが強かった自分からすると、それがつまみ食いのようなものであれ、彼のフットワークの軽さには微笑ましい羨望を覚えたのだ。
今やストイックにカウンターに向き合いながらも、展開・サイズ共に膨らみ続ける彼の作品。「カウンター・スキン」の巨大さと有機的なゆらぎはどうだ。これは間違いなく、今の彼にしかできない事なのだ。

 

 

(*一方で、紙幣にドローイングを施した作品には共感することができなかったが…)

 

 

Dec.24th.2016

年末。作品ベース、幾度目かの点検中。

 

「今年は作り溜めに専念」と宣言したは良いが、いくら作ったところで溜まっている気がしないまま、年末を迎える。

 

ふたつと同じもののない迷宮。

 

抜け出すつもりでの制作だが、その渦中こそが迷宮入りだ。
これから角取りに研磨に塗装…これまでとは違う構成になる予定でも、そこに行き着くまでがまた長い。