Past days 2014

2014年某日の記憶の欠片

2014

Jan.12th.2014

終えるべき用事はあるが、今でなければ息がつけない。さりとて面白いこともない日曜日、 偶然TVで見かけた中島記念館へ。
川手の集落を抜け、周囲に何も無い場所に唐突に現れる真新しい建物。行けない程では無いが、ひどく遠い。
日本画壇を代表する作家陣の『富士づくし』を観たところで満たされないのは、美術館の稼働状態に対する物足りなさの所為か。

疎らながらも訪れる観客は「芸術に触れられた」と満足気に話している。
それが自惚れであれ何であれ、ここまで来て飢えを満たそうという人々が居る事実。この美術館も今後の成長で応えていくべきだろう。
オープン間もないというから、それを見守るのも面白い。

別棟のカフェで出てきたコーヒーはきちんとしたカップ入り。紙コップだったら落ち込むところだが、それだけで何か救われた気がした。

まだまだ寒い。

 

 

Feb.16th.2014

福岡天神。工事中のバスセンターが妙なことになっていた。寸断される日常。想像ではトレースできるつもりの壁向こうは果たしてその通りなのだろうか。

福岡市美企画 『想像しなおし』鑑賞 今回の目的だ。

コンセプチュアルな仕事を読み解くこと。愉しくはあるが、かなりの能動性を要求される。 全てしっくりきた訳ではないが、久々に視ることを意識しながら視た展覧会だ。
同時にこの企画の組み立て自体がひとつの作品であり、もうひとりの作者が存在することに気付く。
企画展示とはもともとそういうものだが、この展覧会では扱っている作品の傾向も相まって、枠組がより明確に意識されるようだ。

最後の作品、いわゆる『ポスター反対ポスター』には思わず吹き出してしまった。日頃の不満を無言のうちに代弁してくれたかのようで痛快。

制作過程には心配もあるが、これも含めての『想像しなおし』なのだろう。

 

 

Mar.23rd.2014

田川市美術館企画『英展』出品作、急ピッチで制作中。会期は7月だが5月初旬の搬入。4月があれこれ慌しいのは当然なので、今が正念場だ。

素材と制作方法を変えてみたが、思い通り行かずに頭を抱えたかと思うと、それまで苦労していた工程が難無く進んだりする。やってみなければわからない。

それにしても「気にならないものを作る」というのは難しい。粗を見せないということなのだが、これがどこまでやっても気になり通しだ。
重きを置くのはコンセプトの方とはいえ、作品の入り口はまず表層にある。その皮一枚で悪戦苦闘だ。

研磨中のベースを明るい場所に立てておくと、幻惑されて凹凸が反転して見えることがある。この現象に名前はついていたろうか?

 

 

Apr.29th.2014

熊本市。近藤えみさんのグループ展を目当てに島田美術館へ。

古民家を改装した建物は洒落た気持ちの良い空間。どの旅番組でも出てくる言い回しではあるが、実際に趣味の良いカフェがあるのは嬉しい。
なにより蔵内部のギャラリーの凛とした空気が素晴らしく、誰が欠けても違和感を残すであろう今回のお三方の出会いを演出する。
近藤さんご本人の柔和な雰囲気とは裏腹に、作品はいつもながら重厚だ。だが、ここでまたもや騙される。この圧倒的な物質感も素材の質量に依存したものではないのだ。


熊本市現代美術館・草間彌生展。

年を経ることに抗う一個の人間の現実と華やかな狂気。作る自己と作られる自己。
いつもの、といった観は正直あるが、兎に角生きて作り続けている。それ以上に大事なことがあるものか。

 

 

May.6th.2014

福岡市美の片隅で。
かつて『羽根を拾った日』というオブジェのシリーズを制作していた。
文字通り、鳥の羽根を拾った日、それをガラスケースに詰めてサインを添える。

届かない憧れや一抹の不安。そのことに偶然気付かされる時があるのだ。集めることで意味が見えてくる気がしていた。


なんのことはない、ありふれた小さな死。持ち運べそうなそれも、既に携わっているものだった。

 

 

June.17th.2014

昨日、母が亡くなった。
闘病中とは言え、まだ時間はあると思っていた。

自分の膝の上で熱を失いゆく小箱。これが体温であるうちに、なぜ抱きしめることができなかったのだろう。
哀しみや後悔とは裏腹に、気泡なく遺骨の欠片を封入し、傍に置く方法などを冷静に考えている、そんな自分が嫌になる。


久留米・石橋美術館。生前愛した美しい庭。 幼い頃、手を引かれて観たことは今も忘れない。

 

 

July.20th.2014

田川市美術館・英展。

中庭・ワークショップの制作物が出迎える、初めての場所。

夏の風物詩として定着しているのであろう。引きも切らない観客が、この企画の人気を物語る。
絵画展という括りはないものの、他は団体展で鳴らしているであろう面々。場違いな感じは否めないが、ハナから媚びる気も無い。
展示に持て余すことこそに真価があると喜ぶ方々の存在は心強い。


喪失感の中で迎えた夏。  さて、これから動かなければ。

 

 

Aug.2nd.2014

霧島アートの森・会田誠展。

AMK48(歳)会いに行けるアーティスト、とは笑わせてくれる。

絶対こんなことはやるなよと釘を刺す教師に対して、これはどうだとギリギリの線をしつこく攻めてくるヒネた中学生、
そんな感じだろうか。しかしこの攻防は教室の中で繰り広げられているのではない。美術という枠組みそのものの中で、である。

突如始まる山口晃氏とのトークショー。 緩いがしかし、それは隙ではない。


しつこい夏の食中毒。

 

 

Sep.16th.2014

みやざきアートセンター・斉と公平太「オオウチハジメ氏を探す旅」展+ワンダーアートスペース展。


「オオウチ展」は実にプレーンなコンセプチュアル・アートながら多分に自虐的でシニカル。宮崎では、そしてこのセンターでは大変珍しいタイプの作品だ。
対して若手支援企画「ワンダー展」は確たるバックボーンを欠く、いかにもブーム後の展示。作者と話しても筋立ての形跡を感じられなかった。
意識的にぶつけた企画ならこれほど辛辣な皮肉も、強いエールもないが、本当のところはどうなのだろう?

良い作り手の登場には常に期待するのだが、残念ながら「アーティストと呼ばれたい」人ばかりが目立つ。
飢えや違和感に対する共振を感じる人と出会いたい、共に仕事がしてみたい、と願っているのだけれど。


発掘のチャンスに溢れた若手に対する妬み?違う。現代美術はそこにあるものではなく、勝ち取るものだという認識の違いだ。

 

 

Oct.11st.2014

台風と睨み合いの中、KIRINJI鹿児島公演へ。

双方共に優れたソングライターである兄弟バンドでメインボーカルの弟が抜けるという危機を、新メンバー5人を迎えて見事に乗り切った、まさに新しい船出。

ライブハウスならではの興奮。兄・堀込高樹その人が3mと離れず眼前で歌う感動と、手練れ揃いの織り成す音に酔う。


堀込高樹は詞人だ。歌詞が詩と異なることを、音でもあることを、曲と共にあり、また裏切ることで生まれる感覚を知っている。それを歌う力を持っている。
キリンジからKIRINJIへ。コーラスワークの美しさに力を増し、不穏な毒気も隠し持ったままにチャーミングなバンドとして生まれ変わった。ブラボー!


アンコールで歌われたソロ作「絶交」が嬉しい。かつて失意の自分を支えた曲だ。冬に向かい全てを捨ててなお清々しい男の孤独。
喧嘩別れでないにせよ、自分自身と弟・泰行をそれぞれに鼓舞するように取れる。


自分も支度をしなければ。

 

 

Nov.2nd.2014

原田さんの思い付きに感謝。

終了間際の大分・国東半島芸術祭めぐりに同行。見慣れぬ土地を彷徨うことは愉しい。


ご老人方が集う海沿いの公民館でチームラボの映像の洗礼を受ける、このギャップ!
いつも気になる固いレスポンスも今回生かされている。陳腐化がハイテクの常だが、テーマの普遍性に納得する。

オノ・ヨーコ。インストラクションは『グレープフルーツ』のもので、過去作の新構成と言えるが、土地の空気を取り込んで新鮮。
(だが、よく読まれていないなあ。指示通り折られた短冊は見事に皆無。七夕飾りのイメージが先行したのだろうか。)

川俣正、宮島達男、そして高所恐怖症が祟って行き着けなかったゴームリー。いずれも不動のスタイルではあるが、しっかりと地霊を味方に付けていた。

翌日回った福岡アジア美術館のトリエンナーレ。味わうには丸一日以上要するであろう中味の濃さだ。

中でも貘ゆかりの「給食番長」・よしながこうたくさんの展示の自由度は圧巻。モンゴル女性作家の視野と、それを生かした美麗な絵画と共に印象深かった。

映像も抜群に面白く、冒頭・黒田さんのテキストに深く頷ける良い企画だった。


近くなったアジアだが、まだまだ広大だ。

 

 

Dec.30th.2014

福岡帰省。待つ人を欠いた寂しい年末。

見聞きしたものにもやもやが残る。
作品を発表すればもれなく作家やアーティストを名乗れるのか?

経済的自立が作家性のすべてでないにしろ、名乗るだけのリスクや責任、要求されるバックボーンがあって然るべきだろう、とは県内の若手の発表を見ての雑感だ。


世代は移り変わらず、フォーカスが変わる。見かけ上合わされていない者は図らずも頑固親爺の立ち位置に身を置くことになる。これが時代の構造かと気付いた。
一見アートに寛容な素地が出来たかのように見える宮崎だが、これは自分が望み戦ってきた結果ではないという寂寥感が頭を擡げる。


見せる・見てもらう責任の意識は作品制作と不可分であり、ポジションがどうあれそれに応え続ける他ない、疑いなくそう思っているのだけれども。