Past days 2011

2011年某日の記憶の欠片

2011

Jan.29th.2011

新燃岳噴火。都城の街から色彩が消え、道路からはセンターラインが消えた。見慣れない地面を踏みながら列車に乗る。

「光野さん!お久し振り!」 

会場最前列で姿を見付けるなり差し出される分厚い手。持ち主は22年振りに再会した金沢美大の仲間にして、日本を代表するアニメーション監督。

その男、細田守。

作品を語る姿勢は日頃接しているアーティスト達と一見変わらない。だが、陰には彼を支え、彼が支えている多くのスタッフがいる。経済がある。
決断力、責任感、折衝力。どれだけのエネルギーがいることか。それに較べれば、自分の仕事なぞまだまだ気楽な自分勝手の部類だろう。
立場を羨むだけなら誰でも出来る。学生時代から彼の行動力には舌を巻いていたが、その一方で彼はとても他人に気を遣う。

「監督はなるものではなく、させてもらうもの」

彼を替えの利かない・放って置かれない存在にしているのは、卓越した才能はもちろん、その人格に因るところも大きいのだろう。

帰りの飛行機を真剣に気にしながら、焼酎もそこそこに店を飛び出す仕事の虫。


再び差し出される分厚い手。
この世の中で自分が何よりも信用できる、ものづくりの手だ。

 

画像は帰りの宮崎駅/都城市に積もる火山灰。

 

本人の画像は?という方がいらっしゃるかも知れませんが、やたらカメラを向けるなぞ、仲間としては興醒めでしょう。
再会できた、そのことで十分です。
同席したのは『カラフル』の原恵一監督。随分と豪華な酒席ですね。
失礼ながら、そして勿体無いことに、まだ作品を拝見しないままお会いしましたが、やはり魅力的な方でした。
早速DVDを注文しました。

 

Feb.20th.2011

FUKIAGE WANDER MAP 2011
先週の鹿児島アート巡りの際に見かけたポスターの隅に見付けた懐かしい名前。その4日後には偶然本人と会うというハプニング。
この半年程は、思わぬ出会いの連続だ。

大きな鮭が帰ってきた。しかもあぶらの乗った大きな鮭。
聴けば現在はパフォーマーとして活動しているという本くん。スマートな身体からは想像もできないタフさだ。
教育に関わるということは、なんと面白い、そして恐ろしいことなのだろう。心の奥に、ご両親に済まない気持ちさえある。

吹上町。

この地を訪れたのは二回目だが、若き主宰者たるKAZUHIRO HAKATAさんの躍進ぶりたるや、目を瞠るものがある。
この地に根を降ろし、住民を巻き込んで創り上げた、真に地域密着と言えるアートイベント。文字通りのパッションに溢れた人柄・求心力だ。

正直、この手のイベントの中には、趣味の延長から脱しない(または生業から振り切れない)作家ごっこや地域の協力の怪しさを見せられて辟易するものもある。
今回、良い作品・良い作家はと問われても、即答は難しい。だが、それでもいいではないか。
なぜならこのアートと地域の親和性は本物だ。街の誰もが心から楽しんでいる。パワーがある。この中に身を置いた参加者の成長も自ずと期待できる。

とても一日では掴み切れない幸福な出会い。ぜひ今後も続けて欲しいものだ。

 

画像はKAZUHIRO HAKATAさんアトリエ展示。

 

良い作家が居なかったということではありません。このところ、良いものに触れる機会が多かったことと、どうしてもシリアスなものに出会って唸りたいという欲求が先立ってしまっていることで、
私の見方もいたずらに厳しくなっているようです。それでも文句無しに楽しめました。

 

Mar.12th.2011

 

 

 

 

どうか、みんな無事でいてください。

 

 

 

 

 

 

Apr.2nd.2011

鹿児島。

その後聞き及んだ東京の知人の揺らぐ日常。知らないだけで、被災地にも誰か居るかも知れない。
トップ項目ばかりが報じられるのは当然だが、これが沈静化した時、山積していた問題が一気に晒される。恐らくはもう失われた文化財も数多いだろう。

生きてきた証などより、これから生きることだ!という批判は甘んじて受けるが、それがない人生の虚しさも知っているつもりだ。


誰かのために制作することなど、恐らくはこれからも出来ない。
関わりを捨てない・あきらめないために行う自分のための投薬・祈りのようなもの。それが真摯であれば共に生きる意味を分かつ契機にできるかも知れない、というちっぽけな期待。


昼食の店の調度に意識を遣ったり発表会場の下見をしたりで戯言を吐く贅沢。

日本中が後ろめたさや言い訳に包まれるようになった昨今、自分もその中で日常をなぞる他ないのだろうか。

 

 

May.7th.2011

連休の雑感。

予防接種はかなり効果があったようだ。発熱や悪心はなかったものの、自重しながら前半を過ごす。
確かにつまらないが、世間様の憩いを万が一にも台無しにする訳にはいかない。


同窓会。過ぎた歳月に今更ながら驚くが、初めての教え子は忘れないものだ。それぞれがそれぞれを逞しく生きている。
最も未熟で恥ずかしい自分を晒してきた人達との再会。自責の念もあったが、それでも赦される自分が居る。赦してくれる人達が居る。

行って良かったと思う。

なんとか出向いた福岡。さして出歩きはしなかったが、いつもながらの変化に驚く。
新天町の天麩羅屋は、今泉の珈琲店は、いつ消えてしまったのだろう。


あたかも菌類のコロニーよろしく人の暮らしを俯瞰し、見出した儚さに平静を得ようとする試み。
出来やしないだろう。その只中にどっぷり浸かった感情の生き物、それが自分なのだから。

 

 

June.11th.2011

かつて村上春樹は「オジサンだって傷つく。でも、ある日ナイーブなオジサンでいることを格好悪く思い、そうであることを止めてしまった。」というような内容のエッセイを書いた。

 

自分はそうはいかないようだ。失ったり取り戻したりに一喜一憂、その繰り返しだ。

 

 

賛否を呼んだスピーチは『非現実的な夢想家』であれと結ぶ。彼自身はどこまでも透明でリリカルな文章を書く村上春樹その人で良いと思う。
可能なこととそうでないことをあくまで小説家として引き受け、小説家の関心をもって話しているのだろう。 だが、世間はそれだけであることを許さないようだ。

 

要約してしまえば身も蓋もない内容でも、彼は重みある言葉でその機微を伝えた。それが彼の仕事だ、それで十分ではないか、と自分は思う。

 

 

敬愛してきた坂本龍一は音楽家であって環境活動家ではない。
オノ・ヨーコに対する敬意も芸術家としての彼女に対してだ。

 

一人の人間であること、アーティストであること、職業人であること、活動家であること、それらはどこまでひとつであり得るのだろう。

 

迷いは多いが、アウトプットは常に作品でありたい。それを崩すつもりはない。

 

 

 

(ただ、スティービー・ワンダーやマーヴィン・ゲイは割り切れても、オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイスはその一貫性にこそ魅力があるわけで、実のところ割り切りは難しいですね。

 

July.7th.2011

仕方無いとは十分判っているが漏れてしまう。 これは蛇の生殺しだ。やりもしないテニス肘で傘を持って立ち通し、それが京都の過ごし方なんて。


駆け込みの昼食でようやく憧れの一杯。名園の緑が目に眩しい。


こういった感情は、その土地に住む人にとっては奇妙なものなのだろうか。日頃そうやって見過ごしているものが自分にもあるのだろうか。


たまにしか聴かないようにしているフェイバリット、自分にとって京都の珈琲はそんなものかも知れない。

 

 

Aug.12th.2011

作家諸氏との打ち合わせ・実家の様子見・ギャラリー巡りと諸々詰め込んだ福岡巡り。制作半ばで気も漫ろだが、肘の具合も良くはない。休み時と割り切るべきか。


バス車中でいい加減に見たバカSF。ダークマターとの衝突を核で回避するも、副産物のワームホールで地球まるごとタイムスリップ。
事件の数時間前に戻った人類は、延々対策に右往左往する無間地獄に陥ってしまう。
そんな人類に存在価値はあるのか?と突っ込んでしまうが、笑えない部分も思い当たる。自分も案外似たようにもがいて生きている。


北九美はアラカワ3回シリーズの最終章。薄膜に仕掛けられたパラドックスを追うにつれ、開けてくる未知の空間。
建築を最終ステージに選んだ彼だが、それが全てを内包する訳でもあるまい。版画も良いが、なおさらタブローが恋しくなってくる。

もう1年が経つ。姿を消した「死なない」彼は、その後の日本の危機にさえ「今こそ」と変化を説くだろうか。


ARTIUMのパラモデル展。アートを再び玩具に還してしまうことは是か非か。
9月の横山裕一に牛島光太郎。秋の福岡が今から楽しみだ。

 

 

(画像は北九州市美バナーより。現物撮影ではありません。)

 

Sep.24th.2011

再びの福岡天神。いきなり見慣れないものが出現する愉しさは都城では味わえない。
目当ては牛島光太郎&キム・キョンファのコラボワーク。彼のコンセプチュアルで詩的な仕事に惹かれているが、今回上手く行っているかは少々疑問。
近くに座っていたのは御両人だったろうか。作品をよく観てから話し掛けようと思ったが、見失ってしまった。
ARTIUMは「ネオ漫画」横山裕一。付き合うにはかなりの集中力を要するが、印刷物からは窺えない思考のプロセスを追う展示が面白い。

季節柄増えたアートイベント。宮崎でも「アーティスト」を名乗る若手が増えたようだ。

現代美術が一般的に認知されることを望みながら奮闘していた筈なのだが、いざそうなってみるとアートに関わる自覚や覚悟の見えない(そもそもそれらを要しない)若手の発掘ばかりが目立つ。
状況を創ってきた筈の我々は忘れられた世代なのか?

先日、「投げ銭で値段を決める」だの、「勝手に持ち帰って良い」だのという、困った人達がアーティストとしてラジオのインタビューを受けていた。
無論、宮崎にも確固たる考えや実力を持った若手は居るかも知れないが、作った自分でさえ価値が判らないものをアートとして人様に見せる愚挙は謹んでもらいたいものだ。

「全ては芸術だ。その中につまらないものと、そうでないものがあるだけだ。」

学生時代、ベネチア・ビエンナーレ出品作家達の講演を聴いた夜、仲間内で激論を交わす中で飛び出した言葉だ。
あれからアートの裾野は拡がったと悦ぶべきなのだろうか。それが「つまらない芸術」の一般化と同義とならないよう、先ずは自分が「そうでないもの」を目指さなければ。

 

 

 

アートストリートの価値は「一般の人達の胸を張ったアート遊び」にあるわけで、これが自称アーティストのプロごっこだったなら私は応援しなかったでしょう。

勝手に持ち帰る、で思い出した。かつて福岡市美に向かっていた時、擦れ違う人々が皆、大きな紙筒を持っていた。不思議に思いながら展示室に入ってみると、
フェリックス・ゴンザレス・トレスの「勝手に持ち帰って良いポスターの集積」に行き当たって納得した。皆これを観ての帰りだった訳だ。  この場合は拡散のプロセス自体が作品ですね。

 

Oct.29th.2011

近藤さん・南さんを迎え、メンバー揃っての美術館打ち合わせ。

 

福岡の風景とアートシーン込みで認識している作家方と都城で出会う不思議。振動のはじまり。

 

意外に広い会場に苦戦を予感するも、各々の眼は輝きを見せる。

 

穏やかで朗らかな言葉を裏打ちする強さ、それこそが自分の信じられるものだ。

 

 

来年5月など瞬く間だろう。

 

 

Nov.20th.2011

鹿児島・マルヤガーデンズ個展初日。

 

文化発信型ショッピングモールでの発表は初めてだが、やはり意識すべき点は変わってくる。
発表環境としてはベストでなくとも、作品と施設が静かに毒を盛り合うことで、意味を強め合う。その面白さは他では味わえないものだろう。

 

上階の映画館のプログラムを見て驚く。

 

『死なない子供、荒川修作』 !!!

 

何という偶然だろう。しかもこの3日間限定 !?

 

今日はしてやられたというところか。毒はこちらが多めに盛られたらしい。

 

内容? 

 

謎解きの解答ではなく実感を伝える、良質のドキュメンタリーに乾杯だ。  探し続ける限りは繋がるということなのだろう。

 

 

Dec.30th.2011

年の瀬・福岡天神。徹底した年末商戦での「身ぐるみ剥がされた感」が面白く、思わずレンズを向けたショウ・ウィンドウ。

制作を詰める最中だが、この数日は「何もしない」、そのためだけに帰省する。年賀状も年明けからだ。
明日になれば開いている珈琲屋もないだろう。2日ともなれば初商での大混雑だ。そのギャップが可笑しくもあるが、全く不便な休日だ。


顔を合わせて無事を慶び合える人々が居る土地。そこで過ごす平穏な数日間。
その幸せはひどく退屈ではあるけれども、未来永劫続くわけではないことも知っている。

平凡で退屈ということは無価値とイコールではない。それは切に望まれて作られる。


雑踏を味わいながら西鉄駅へ向かう。
今年ほど日常の意味を問うた年もない。