Jan.29th.2011 | |
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新燃岳噴火。都城の街から色彩が消え、道路からはセンターラインが消えた。見慣れない地面を踏みながら列車に乗る。
画像は帰りの宮崎駅/都城市に積もる火山灰。
本人の画像は?という方がいらっしゃるかも知れませんが、やたらカメラを向けるなぞ、仲間としては興醒めでしょう。 |
Feb.20th.2011 |
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FUKIAGE WANDER MAP 2011
画像はKAZUHIRO HAKATAさんアトリエ展示。
良い作家が居なかったということではありません。このところ、良いものに触れる機会が多かったことと、どうしてもシリアスなものに出会って唸りたいという欲求が先立ってしまっていることで、 |
Mar.12th.2011 |
どうか、みんな無事でいてください。
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Apr.2nd.2011 |
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鹿児島。
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May.7th.2011 |
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連休の雑感。
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June.11th.2011 |
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かつて村上春樹は「オジサンだって傷つく。でも、ある日ナイーブなオジサンでいることを格好悪く思い、そうであることを止めてしまった。」というような内容のエッセイを書いた。
自分はそうはいかないようだ。失ったり取り戻したりに一喜一憂、その繰り返しだ。
賛否を呼んだスピーチは『非現実的な夢想家』であれと結ぶ。彼自身はどこまでも透明でリリカルな文章を書く村上春樹その人で良いと思う。
要約してしまえば身も蓋もない内容でも、彼は重みある言葉でその機微を伝えた。それが彼の仕事だ、それで十分ではないか、と自分は思う。
敬愛してきた坂本龍一は音楽家であって環境活動家ではない。
一人の人間であること、アーティストであること、職業人であること、活動家であること、それらはどこまでひとつであり得るのだろう。
迷いは多いが、アウトプットは常に作品でありたい。それを崩すつもりはない。
(ただ、スティービー・ワンダーやマーヴィン・ゲイは割り切れても、オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイスはその一貫性にこそ魅力があるわけで、実のところ割り切りは難しいですね。 |
July.7th.2011 |
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仕方無いとは十分判っているが漏れてしまう。 これは蛇の生殺しだ。やりもしないテニス肘で傘を持って立ち通し、それが京都の過ごし方なんて。
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Aug.12th.2011 |
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作家諸氏との打ち合わせ・実家の様子見・ギャラリー巡りと諸々詰め込んだ福岡巡り。制作半ばで気も漫ろだが、肘の具合も良くはない。休み時と割り切るべきか。
(画像は北九州市美バナーより。現物撮影ではありません。) |
Sep.24th.2011 |
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再びの福岡天神。いきなり見慣れないものが出現する愉しさは都城では味わえない。
アートストリートの価値は「一般の人達の胸を張ったアート遊び」にあるわけで、これが自称アーティストのプロごっこだったなら私は応援しなかったでしょう。 |
Oct.29th.2011 |
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近藤さん・南さんを迎え、メンバー揃っての美術館打ち合わせ。
福岡の風景とアートシーン込みで認識している作家方と都城で出会う不思議。振動のはじまり。
意外に広い会場に苦戦を予感するも、各々の眼は輝きを見せる。
穏やかで朗らかな言葉を裏打ちする強さ、それこそが自分の信じられるものだ。
来年5月など瞬く間だろう。
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Nov.20th.2011 |
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鹿児島・マルヤガーデンズ個展初日。
文化発信型ショッピングモールでの発表は初めてだが、やはり意識すべき点は変わってくる。
上階の映画館のプログラムを見て驚く。
『死なない子供、荒川修作』 !!!
何という偶然だろう。しかもこの3日間限定 !?
今日はしてやられたというところか。毒はこちらが多めに盛られたらしい。
内容?
謎解きの解答ではなく実感を伝える、良質のドキュメンタリーに乾杯だ。 探し続ける限りは繋がるということなのだろう。
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Dec.30th.2011 |
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年の瀬・福岡天神。徹底した年末商戦での「身ぐるみ剥がされた感」が面白く、思わずレンズを向けたショウ・ウィンドウ。
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