Past days 2009

2009年某日の記憶の欠片

2009

Jan.18th.2009

M・A・P新年会。霧島東神社詣で。

派手かつ重厚・どこかポップな配色が新鮮。遺伝子に刻まれている筈の畏怖はさておき、とにかく「いろやかたち」で物事を見てしまう罰当たり。

小雨の温泉ミーティングに話は弾むも、新展開で捨ててしまうものに覚える言い知れない違和感。

歳を重ねた頃にはもっと上手くやれる、というのは勝手な憶測か。

曖昧さを的確にあしらえないまま溜め込んで生きている。

 

 

Feb.14th.2009

降って湧いた鹿児島歩きの時間。こんなことも珍しい。

市美のジョセフ・アルバース展。その作品になぞらえたイメージケーキが美しい。
しかしこの年の男が愉しむには派手に過ぎたか?量も辛目。自分にとってはもう出来ない種類の冒険だったようだ。

行きつけの店はかなり姿を消していた。
情報を得るために入ったネットカフェで、2007年の桜島アートプロジェクトの記録を目にする。
かつては県外参加者の一見安易なスタンスを批判したが、実現までの密な関わりと並々ならぬ努力を今更ながら知り、しばし反省する。
自分などは世話になりっ放しだった。

「アーティストとやらは自分たちの住む土地で何を考えたか?」観客はその答えを求めて足を運ぶ。

それには作品で応えなければ、作品に読み取れなければ意味がない。作家の日常など語れない。

その考えは今も変わらない。自分もまた桜島を愛する一観客だ。
しかし知らぬ間に、なんと遠く離れてしまっていたことか。

 

 

Mar.22nd.2009

MAP恒例の花見。今年はMさんのお招きでお庭の夜桜見物。
楽志みハ 花の下より 鼻乃下

~花見のてい   仙厓~

賛の描かれた当時と恐らく変わらぬこころの華やぎ。
幾分アルコールに弱くなったことは自分の歳月を物語るか。

いや、さすがにベッコウは吐かんよ。

 

 

Apr.27th.2009

手に入れた時分の空気や心情が染み付いている音楽、というものが確かにある。
「最低速度を守れ」の頃知った走れない自分。「絶交」に重ねた孤独の季節。

2005年末の停滞。

今、それを聴きながらハンドルを握る頬が、夕陽の暖かさを感じている。

気分としてに過ぎないけれど、何かしら明日を肯定しようとしている自分の変化に驚く。

 

 

May.5th.2009

福岡大名にも猫カフェが、と珍しがっている最中、視野の隅で動くものに気付く。特に猫萌えでもない自分が見惚れるほどの美しい猫。

囲って客をとらせずとも、素で愛玩される美貌とカフェ猫の対比にちょっと笑う。

来年度の個展決定。その時分に再会できるだろうか。

 

 

June.1st.2009

昨日の美術館でのワークショップ、『マイ・コレクション』。
モノクロームの小品を中心に集めてきた自分だが、こうも並べて語るという機会は滅多にない。

他人様が集めて下さった自作との再会も新鮮だ。

レディメイドと言っても最早ロスト・テクノロジーと言えるものもあり、博物的な価値を生みそうなギャップに考え込む。

他の参加者の持ち寄ったもの全てに興味があった訳ではない、が、
「処分できなくて…」という御老人の言葉に、共感する業を見た。

 

 

July.26th.2009

長崎。

知らない土地で迎える朝は、何故早起き出来るのだろう。
もうさすがに若くない男が、客船の接岸する瞬間に目を凝らしたり、眼下に歩く人を探したり、
そんなことで時間を潰したりできるのは、何故なんだろう。


そう言えば、大人になんて、何時成った?

 

 

Aug.21st.2009

熊本市街。
故有って彫刻やデザイン論等を受講する立場に。
スケッチブックを抱えての街歩きなど、何十年振りだろう?

自然物に倣っての制作。それに伴う見方の変容。解剖者の視線で道行く人を見ている自分を発見する。
この感覚、忘れていた・変化した・捨てた いずれも正解なのだろう。

長い影。

大きなカルトンと満員電車。フィクサチフの匂い。真っ黒な鼻水。無風のビル街。輻射熱。取れなかった、あの人への連絡。

陽炎のように燃え立つ、福岡・高3の八月の記憶。
ノスタルジーではない。ただ焼き付いた夏があるのだ。

 

 

Sep.23rd.2009

都城市美。

M.A.P・美術館通りカフェのための陶製カップホルダー制作。

近頃どういう訳か土に縁がある。
これまでの人生の中でもこれほど粘土をいじったことはあるまい。

遊びだからと割り切れないのは性分だ。手仕事を排除する筈の実制作でも、コンマ数ミリを問題にしつつある。
やはり職人気質は否定しようがない。

それにしても窯元氏の困り顔。
でっかい子供達に付き合う御苦労、お察しします。

 

 

Oct.30th.2009

都城市美。南九州アートライン展。

光野浩一・『MEMORIES 1987~96』に映り込む、ジェニー・ホルツァー作品。

隣にオノ・ヨーコ、ドナルド・ジャッド。正面にリチャード・ロング。


青春の目標としてきた作家達との感慨深い邂逅。
同時に頭を擡げる旧作への羞恥心。

それは自分の成長を表すものなのか?

 

 

Dec.30th.2009

計画も無いまま福岡への帰郷。独りの街歩きのために取った部屋だが、もう美術館もギャラリーも閉まっている。

齢を重ねても判らないことは増えるばかりだ。そして、平々凡々とは行かない。
光野浩一の名を騙る異国の人よ、そっちはどうだい?

見えないプールで突き動かされ干渉し合う世界なら、僕はさしずめ一個の粒子だ。

ひとのあいだにも、あらゆる想像の細部にも浸透する運動。
そうしながらも、なかなか主犯を引き受けられないままなんだ。