Past days 2008

2008年某日の記憶の欠片

2008

Jan.19th.2008

今年ふたたびの福岡天神。

市美・和田千秋さんの展示。
思惑以外に絡め取られることも多かっただろう。
だが、この作家が向き合ってきたのは一貫して美術であり、作品なのだ。

世界を認識すること。描くこと。つくること。確かめ、遺すこと。
生きることとそれらが同義であること。
その当然のことがあらためて胸を打つ。


余り良い部屋を取ると出不精になる。
もっと歩こう。

 

 

Feb.16th.2008

今年みたびの福岡。
我侭気侭を笑わば笑え。
大名に来たとあっては、ここに来ない訳にはいかない。

覆われたアーケード。消えた大看板。知らず終いの名店。
僅かの間で変わりゆく街並み。間違い探しの追いかけっこ。
地図は塗り換わる。街も人も生きている。


冷える夜の暖かいカウンターで柔らかいbossaに酔う。
その不変を願う贅沢。

 

 

Mar.20th.2008

雨の福岡空港。
貘・南さん個展。単純にファンだと言ってしまえるアーティスト。
対なるものの、見えないつながり。
無いことの豊かさ。
明快なものづくりが、つくり得ないものを暗示する。


アジア美術館・斎藤さん個展。
85歳でこの表現の若さはどうだ。
それと裏腹の、若輩者の追随を許さない深み。
トレンドセッターやビッグネームと言えずとも、生きることに密着した真摯な表現を続けるアーティスト。
自分もそうありたい。

まだまだ洟垂れ小僧だな。

 

 

Apr.2nd.2008

四月早々の倉庫荒らし。盗まれた古い音響機器。
穏やかな日々の営みをいとも簡単に蹂躙する身勝手。

怒りではない、
醜いものを見せつけられる哀しみ。


静かにしてくれないか。

 

 

May.11th.2008

椎間板ヘルニア、加えて先天性脊柱管狭窄の発覚。連休を挟んだ8日間、例え様のない激痛に身を捩らせた。

ようやくの遠出。久し振りの外食。眩しい緑。
当り前の、ささやかなことがこんなにも素晴らしい。

 

 

June.22nd.2008

腰痛と多忙と雨が遠出を阻み、視野を塞ぐ。
ロンドンでの発表の返事も保留したままだ。
良い話は実現が難しい時を狙って飛び込んでくる。

美術館で常設展鑑賞 しばしの閑談。
もとより運動に手を染めない者はその不足などに成り得ないという屁理屈、
この美に対する渇望は日頃求めるが故のしっぺ返しか。

曇天の遥か上空に切り離されたこころ。

 

 

July.21st.2008

霧島アートの森。高橋コレクション・NEOTENY JAPAN。

現代アートの国内最新動向を知る上で注目の企画だが、
描くこと・つくることへの真っ直ぐな眼差しがかえって意外な程だった。

幼形成熟(NEOTENY)の主体たる彼等、その不在の両親の見え隠れ。
ほぼ同世代であるが故の共感と心許無さ、そして喪失感。

あの雲は熱風が巻き上げる水の彫刻。

 

 

Aug.14th.2008

福岡アートめぐり。
ララバイは子供向けの手抜き曲ではないし、絵本も単純なおはなしを意味するものではない。
高度に洗練された独特な世界なのであって、作家の眼差しは大人の心を射抜く強さを備える。
この時期の企画は「どうアートを紐解くか?」がキーであり、見所でもある。

アジア美術館の楽しいワークショップ。豊富な仕掛けで絵本の世界が広がる。

県立美術館の久留米絣。苦手分野だが、低予算で知恵を絞った展示の愉しさに引き込まれる。いつもながら感心する工夫。

市立美術館ではボストン美術館の浮世絵名品展。長蛇の列を成す観客は微笑ましくもある。他室の「イケメン視点」も面白い。

加えて街角にアトリエ・ブラヴォの壁画を発見。障碍など関係無い。この質の高さを自分は認める。


質の高い橋渡し。それは他ならない自分の課題だ。

 

 

Sep.15th.2008

霧島アートの森。台風が近い。
日常ならざる日常を過ごすことに対する幾らかの期待。その無責任が許されるのは、守られるべき存在である子供のみだろうか。
目覚めた枕元に庭で飼っていた亀が居ただの、玄関で長靴が浮き踊るだのの高揚感は忘れないが、
守るものの多い大人にとって、それは悪夢以外の何物でもない。飲料水やクラッカーを買い貯める。

それでも出かけたのは、心が旅を求めるからだろう。

経験上は分かっている。嵐のあと、空が高さを増して澄むことを。
それを待てやしない。

 

 

Oct.12th.2008

制作の合間を縫っての街歩き。計らずもトマソン探訪に没頭。
旧いものと新しいものの狭間に生じる奇妙な断層。それはここ・都城市の下町にも多く見られる。
空中ドアや改装によって意味を削がれた装飾、未だ入ることのない名店など、見知らぬ近所に胸躍る。
手当たり次第にカメラを向ける僕らはさしずめ不審者か異星人だ。

一日の祝福として珈琲がある、と書いた人が居る。それなら、今日は何日分の良い日になる?

束の間の休息。今夜からまた忙しくなる。

 

 

Nov.14th.2008

前列の客が口々に何か言っている。一瞬体が宙に浮き、持っていたカップのコーヒーがぶちまかれる。


乗車していた高速バスの、まさかの衝突。相手の車両はすぐ横に転がり、赤黒い液体を垂れ流している。

居眠り運転だの、逆走だの、流血だの、勝手を言うな。じゃあ窓の外に居るのは誰だ?なぜこの程度で済んでいる?

意外な程冷静な自分に驚く。


渦中に居ながら何も判らない、ということはあるものらしい。

きっと死ぬ時は何も知らないまま死ぬし、そうでなくとも何も知らずに生きているのかも知れない。


そういうことがある、判ったのはそれだけ。

 

 

(*走行車線に停車していたトラックに衝突、死傷者なし、ということが後日分かった。救急車の出動なし。救援は2時間後。赤黒い液体?もちろんオイル。)

 

Dec.30th.2008

目的がある訳でもなく、追われるように出掛けるのは毎年のこと。 年明け遅くの年賀状にまた呆れられることだろう。延々続いていたデスクワークに加え、一挙に3台のPC自作、流石に遠出が恋しくなる。

美術館もギャラリーもクローズ。ショッピングの場所も知れている。何もしない予定で取ったホテルで、仕事の真似事が始まる。
なかなか自由にはなれないものだ。

暦一枚隔てただけで大騒ぎの年末商戦は可笑しいが、街の活気に心華やぐ。街路樹にも満天の星。


福岡天神・2008年の終わり。