Past days 2005

2005年某日の記憶の欠片

2005

Jan.1st.2005

新しい年の始まり。実家でHUMAN AUDIO SPONGEのライブを観る 。

少年時代からのヒーローがノスタルジー抜きの憧憬を持ってそこにいる、その驚き。

齢と相応の経験・出会いは確かに自分を変えた。

しかし10年後、20年後の自分は、これ程に新しく、深みある表現者たり得ているだろうか?


やはり、ちょっといない男達。

 

Mar.4th.2005

四条から入り、京都 寺町通りを行く。

古都を流れるBossa Novaの音色は心地良いが、海外の方は苦笑されないだろうか?

悠久の歴史の香りに混じって感じる、自分の生まれた頃の空気。
それもかつては新しく特異なものだったに違いないが、
澱のように重なり、この地の暮らしの一隅を成している。

どこに入っても美味しいコーヒー、言われずとも判る文化への誇り。職人の存在が必要とされる風土、その潔さ。
やはりここは天国のひとつに違いないが、憧れとして遠くにあるべき場所でもあるのだろう。

 

 

Apr.20th.2005

一ヶ月後の不意。まさかの大きな余震。

ブラウン管の前で、見慣れたランドマークの惨状に震撼する自分と
『で、本物はどこに?』とどこかで本気になれない自分がいる。

怪獣映画で蹂躙されたのも、水不足を知恵で乗り切ったのも、この街だ。

無事の情報に安堵する一方、消えた想い出の場所もある。


錯綜する意識、触れられない現実。

 

 

May.5th.2005

万博なんぞ何処吹く風。

狙いは名古屋市美「荒川修作を解読する」展 養老天命反転地 志段味循環型モデル住宅。

市美は良し悪しを超えた、「いつかはやるべきだった重要企画」と感じた。

2度目の養老は傷みが残念ながらも「置いてきた片割れ」と再会。

そして志段味。家族連れの見学者が、
「ここは生活することを怠けない人のための家だ」と説いていた。
名言だと思う。

荒川の手によるものはA棟のみ。他の棟の凡庸さには肩を落としたが、
芸術が行政と折り合いをつけつつ生き残る難しさを今更ながら思い知った。

 

 

June.26th.2005

県立美術館搬入通路を歩く。蔦越しに見上げた梅雨空。


抉じ開けられたオブジェ 持ち去られたチェス駒 隠された芳名帳には幼児の落書き。

それが2年前、宮崎の発表で舐めた辛酸。

それならまだしも、渾身の遺作を破壊された作家もいた。

展示室内はさながら自分の磔刑場。それは、ここをもってしてもそうなのか。

諦められない。私はこの地で生きているのだから。


それにしてもこの痛み。

 

 

July.23rd.2005

M・A・P恒例の旅行。

このところの雑事の所為で半ば晴れない気持ちのまま出掛けたものの、
それを吹き飛ばすメンバー、満面の笑み。


門司港。
見知らぬ、しかし全てに繋がる海。

 

 

Aug.25th.2005

ここは育った街。始めた街。立ち寄った街。失った街。懐かしい、小さく見える街。これから幾度訪れ、そのたびどんな想いを持ち帰ることになるのだろう。


何も留まりはしない。
自分とて、どう変わっていくのか。

不惑を迎える自分が呆れる。

 

 

Sep.19th.2005

一日遅れの誕生日の贈り物。 この不惑を迎えた筈の男は照れる術も知らない。

高くなっている空だろうに、見上げて動かない、折れた心。

もう幾度目の事だろう。

癒しの渇望に、素直に染み込む。

こんな自分自身を含めて、何時笑えるようになる?

 

 

Oct.10th.2005

福岡・貘。
迷うと帰ってくる。
ここから始める。

ふるさと。

甘やかしはしないが、変わらず迎え入れてくれる。

ひと息ついて、ここを出て、何をしようか。

答えは出ないが、それも許してくれる、スローなJAZZ。

 

 

Nov.7th.2005

九州国立博物館エントランス。再度の福岡は見つけた答えを手土産に。

オーバードライヴ気味の頭を尚も刺激する虹彩の道。


刺激が、癒しが要るなら取りに行け!

そうだろう?

 

 

Dec.13th.2005

太宰府天満宮に踊る雪。

何時でも行けるとタカを括る余り、随分と疎遠になっていた。

異国の団体客。迷い子の記憶。雑多さの消えた門前町。

記憶の整合性を静かに欺く今が在る。