Past days 2004

2004年某日の記憶の欠片

2004

Jan.31st.2004

倒れたつもりで、と無理矢理作った休み。

長島美術館のモダンアート企画は、定番のメンバーにいささか肩透かし。
どこを切り取っても絵葉書のような絶景に、鈍りがちなシャッター。
しかし絶えることのない客足は流石と言うべきか。


件の魔窟の真紅の灯り。忍び寄る近代化の波!?

乾いた茎が求めるように岩茶を啜る。

 

 

Feb.20st.2004

臥せる。

この時期はどうもサイクルの不調期になってしまったようだ。
内視鏡が裏返す自分。
皮膚感覚の極性も内向きになってしまうようだ。


思いがけず、処方されたのはまたあの手の薬。
慣れた事とは言え、『また』という諦感との再会。

 

 

Apr.10th.2004

空気を弾きながら目覚めをせっつくTV。甘いお菓子に歓声を上げる女のコたち。満面の笑顔。何となく良い気分。

『SQUARE90』最終日。

臥せて滅入っていたここ数ヶ月が嘘の様な楽しい日。
反省会に集う面々の笑顔。今朝のはこの予告編だったか。

HさんIさんのモンゴル談義が新鮮。 『Hさん改造計画』…遅れてきたMさんと悪乗り。
Kさんと話すのは久し振りかな。チャーミングなNさんはメールもメルアドも可愛らしい。 


自信は無いけれど、何か幾度目かの重いものを脱げたかも知れない。



(picture/ MAYUMI SHIRAMIZU detail)

 

May.23rd.2004

もう若くはないと自分で笑う。

けれど溢れ出す、制していた甘い詩情。


あの銀の雲の上の世界は、充分知っていた筈ではなかったか?

 

 

June.27th.2004

環を紡いで廻り出す偶然。

時の見知らぬ進み方。


運命論者でもなかったのに。

 

 

July.24th.2004

17の時分から、一人旅には随分慣れた。

鉄の轍織り成すリズムの向こうに、過ぎ行く夏を遠く眺めた。

手にしてきた自由は、甘美な不安の味もした。


かつてのセンチな青年は、一人よりも気楽な旅を知る。
ひとがひとのなかにかえる。

 

 

Aug.8th.2004

長い間、伝説の人の未亡人という色眼鏡で見ていた余り、正当な評価を下せずにいた。勿体無いことだ。

モチーフの類似に今更ながら驚くが、それは『人が生きていくこと』を考える姿勢の共通項だったのか。

同時に浮き彫りとなるシンパシーと差異。しかし、比較するのもおこがましい程のポジティブさ!

自分は『負の彼女』だろうか。しかし逆ベクトルであっても、同じエネルギーを持っているとはとても言えない。


時に世界中を敵に回しながらだというのに、何故この人はこれほど人間に対して肯定的で居られるのか。


オノ・ヨーコ。

 

 

Sep.12th.2004

消えていた『日本一怪しい公園』。

ついてしまった知恵からは凡そ計り知れない力技の迫力、意図を超えて滲み出るあやかしのオーラ。

近くの食堂にようやく見つけた、その残滓。
「つくる」という原初的な欲求への共感とは裏腹に、踏み込むことを躊躇する毒気と笑いは健在。

しかし主人、客の前で内輪揉めはないだろう。
看板は自分の料理にしな。

 

 

Oct.30th.2004

またこの場所に座っている。

「なぜ福岡で?親戚がいらっしゃるんですか?」とは宮崎でよく聞かれる話。
親戚はいる、と言うとなぜか相手は納得する。そうでもなければ作品発表をするものではないらしい。


はじめて宮崎の社会に身を投じた年、その理不尽さと多忙さに心が乾いた。
なによりそこには自分が信じ、拠り所としていたものも、それに対する理解もなかった。

その年末、飢えた旅人のようにこの地へ這い出し、ひたすら歩いた。
展示終了間際の市美に飛び込み、ケリーの絵画を観て泣いた。

ただそこにある強さ。それが羨ましかった。


彷徨の果てに見つけた発表の場。自分で築いた関係。
かくして光野浩一はここで個展を開催する。

 

 

Nov.7th.2004

朝の福岡天神。窓から獏を望む。

次第に力を増す光の色。フェードインしてくる街の雑踏。
それぞれの居場所に向かう人々。


希望や絶望、愛や理不尽さ、その他言い知れぬ秘めた思い。
そんなものを無数に呑み込みながら、この街は動き出す。

それぞれが、それぞれのゲームを背負っている。


ごらん、僕らもあの中に消えていくんだ。
僕らのゲームを生きていくんだ。

 

 

Dec.18th.2004

やわらかな夜を包む管弦の残響。

昼間知り得ないひかりの寸劇。


心地良い疲労感がなんとなく知らせる、この年の終わり。