Past days 2003

2003年某日の記憶の欠片

2003

Feb.16th.2003

体調思わしからず、出遅れの2003年。この日記も滞った。以下これまでの顛末。

歯茎の定着に安堵も束の間・急性胃腸炎に。

宮崎市での個展、調整は難航。

余りに個性的な松下美術館。料理できるか。

今年も届いた贈り物に感謝。再会から5年も経ってしまった。

随分人のために動いている。我儘下手。

調子の戻った今日、我慢していたエスプレッソをダブルで。


問題は山積。これから。

 

 

Mar.12th.2003

アナログ以外は絶対に付けなかった自分だが、この潔さに負けた。

時の集積?カウントダウン?はたまた堂々巡りか?

何が変わった訳でもないが、見えないものが見える気になる。


8年振りの宮崎発表が決定。

良性ポリープに安堵。それまでの不安な日々。

冷えていても燻っている春の別れ。

世界に散らばる不揃いのカウントを想う。

 

 

Apr.19th.2003

愛するものを失うなど、今に始まったことじゃない。

それでもこうして生きている。

終わる度胸と葬儀代があるなら、一矢報いた方がいい。


そう思えるようになったのは進歩かな。

お陰で随分強くなったよ。

 

 

May.6th.2003

毎年出掛けてしまう、この時期の福岡。どんたく尻目の、シャープな構造の森巡り。

黒や生成りのものしか身に付けなくなったのは、いつからだっけ?


南さんのインスタレーション、中村さんの石彫。
作家との対話は静かな確信を生む。


博物館でプラスティネーションを見る。
人も肉だ。ステーキなんかで貪ってるような。


その人たる所以が魂なのか。

 

 

June.14th.2003

個展会場に取材。生憎の雨。

宮崎で発表をしなくなって随分経つ。

この地で美術に関わるが故に病んだ自分が
答えを他所に求めるのは、至極当然の成り行きだった。


自然の美や人の大らかさを高らかに謳いながらも
杯を勧める目の奥で余所者を拒絶する、そんな瞬間を僕は見過ぎた。

それでもまた信じてみる。関わってみる。
それだけの強さを自分は得たと言い聞かせてみる。

 

 

July.27th.2003

港にて。
ひとの口にする
人間と自然の関係なんて、
意識的にも、物理的にも、
このライン程度の意味や強さしか無いのかも知れない。

 

 

Aug.26th.2003

転居が完了するも、全く片付かない。

新生活に心躍る部分も見付けられないまま、
仕事道具だけを引っ張り出す。
売りだった倉庫自体がお荷物とは笑えない。


日常のできるまでの実験。

 

 

Sep.27th.2003

こういうディテールが実感出来ず、わざわざ遠くまで出掛ける事もある。

ささやかだけれど、展示の大きな部分を支えるポイント。
そういうものは結構、この世の中のところどころで息を潜め、
健気にしっかりと仕事をしている。


少年時代、よく空想した。

浜辺の石のひとつとか、小学校の黒板の裏に付き出た釘1本。
余りにも下らないそれは世界のリセットスイッチで、まず日頃意識される事も無い。

ところが1999年7の月、名も無い誰かがひょんな事から触れてしまい、
意味も無く、唐突に世の中は引っ繰り返るのだ。

こうして辛うじて在る世界。スイッチは未だ見向きもされないままか。

 

 

Oct.26th.2003

『ボタンを掛け違えたまま大人になる』

今、支えとなっている歌はかなり不穏。
そういえば、レイモンド・カーヴァーの短編の香りもしないか!?


ひとり、時間差で紡ぐ『優美な死体』。

そうやって描かれた戯画が
他ならぬ私だ。

 

 

Nov.30th.2003

『好き?好き?大好き?』

R.D.レインのリフレイン、死んだ作品、ぶっかけられた冷水。

皮肉な試練に放つべき肯定の言葉を捜す。


扉を開けに行こう。

それこそ決めたことじゃないか。

 

 

Dec.29th.2003

宮崎に縛り付けられた一年、ようやく出掛けた福岡。
仕事納めのギャラリーに肩を落とすも、人々の希望は街を彩る。

美術は消えない。これからも絶対。

きっとこれを観に来たんだ。

正月用品を並べたワゴンが眩しい。