光野浩一、某日の記憶のかけら。月一回、一日分のみ掲載。




Apr.2nd.2011



 

鹿児島。




その後聞き及んだ東京の知人の揺らぐ日常。知らないだけで、被災地にも誰か居るかも知れない。

トップ項目ばかりが報じられるのは当然だが、これが沈静化した時、山積していた問題が一気に晒される。恐らくはもう失われた文化財も数多いだろう。


生きてきた証などより、これから生きることだ!という批判は甘んじて受けるが、それがない人生の虚しさも知っているつもりだ。




誰かのために制作することなど、恐らくはこれからも出来ない。

関わりを捨てない・あきらめないために行う自分のための投薬・祈りのようなもの。それが真摯であれば共に生きる意味を分かつ契機にできるかも知れない、というちっぽけな期待



昼食の店の調度に意識を遣ったり発表会場の下見をしたりで戯言を吐く贅沢。

日本中が後ろめたさや言い訳に包まれるようになった昨今、自分もその中で日常をなぞる他ないのだろうか。