Last update :May. 4,2009
酒泉郷宇佐



 Chapter 25   兎狭の川上(かわのほとり)寄藻川 野鳥の楽園 −宇佐市南宇佐〜和間− 2009.05. 4

 
この川は宇佐市を代表する御許山の南麓にその源を発し、宇佐神宮付近ではそれぞれ 呉橋川 ・ 月瀬川 ・ 浅瀬川 と様々な趣のある名で呼ばれている。
 宇佐神宮を離れるとやや進路を北に変え、放生会で有名な浮殿のある和間の浜から周防灘に注ぐ。 葦が茂り水鳥が遊ぶ寄藻川流域の情景は、その歴史さながらに古き時代の日本の川の姿を残しつつ、今に昔を伝えてくれる。
 古事記、日本書紀によると、神武天皇東征の際、兎狭津彦が一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造り神武天皇を饗応した兎狭の川上はこの寄藻川畔の宇佐神宮付近だといわれています。

『北原白秋 作詞 カンタータ海道東征 第五章その2』
 兎狭はよ さす潮の水上 豊国の行宮
 ああはれ足一騰宮とよ 行宮
 足一騰宮は 行宮と 貴の岩根に一柱坐す
 足一騰宮に参出ると 大わたの亀や 川のぼり来る
 足一騰宮の大御饗 誰が献る はるか雲居に
 足一騰宮は兎狭津彦 朝さもらふ 夕さもらふ
 足一騰宮は たきの上や
 足一つ騰り 雲の辺りに坐す ええしあ をしあ ええしあ をしあ
 Chapter 24   九州御坊に彩を添えた 四日市人形 −宇佐市四日市− 2009.04.27

 
江戸時代中期のころに始まった京都伏見神社の伏見人形がルーツと言われています。 四日市人形は、明治時代の中頃から昭和二十年代の頃まで盛んに作られました。 九州御坊と呼ばれ九州各地からの参拝客で門前に列をなした古きよき時代、門前町四日市の息吹を彷彿させる庶民の庶民による庶民のための人形達。
 2009年春、市の肝いりで故郷の伝統文化、技術の復興運動の核として復元製作の取り組みが始まっています。
 
 Chapter 23   宇佐の気になる木 −宇佐市上高家− 2009.03.20

 
前々から気になっていた。 カッコイイ木。

 やっとお家の方にお会いする機会がやって来た。 色々と伺ってみると、樹齢200年以上の古木で、その木にはまるで「木の精」が宿っているようだ。 木の種類はどんぐりのなる樫の木である。 銘木ではないのが素晴らしい。 
 木の説明を聞きながら、木に対する家人の思い入れや愛情、出来事などなど。 とても心地よい暖かな時間を過ごすことが出来た。 お話の最後に、この木には後60年は元気でいてもらわなくては・・・。 最近この木は老巧化が進み穴だらけ。 管理するには結構お金も子ども並みに掛かるらしい。
 それにしても家人はいい笑顔で自慢話・・・!?

 私の年来の懸案が一つ解決した。
 
 Chapter 22   宇佐の橋 −宇佐市 宇佐神宮・院内町・矢部− 2008.10.19

 
川や峡谷で隔てられた場所を繋ぐ橋は、人々を渡し、物資を運び、併せて色々の情報を伝える機能を果たす。
 宇佐は宇佐神宮を初めとする歴史の町。 当然のことながら、様々な特徴溢れる美しい橋に簡単に出会える町である。
 橋は此岸(しがん:人間界・現世)と彼岸(ひがん:仏様の世界・悟りの世界)という異なった世界を繋ぐ存在であり、それは出会いの場であると言えるし、また、逆にそれぞれの世界への別れの場でもあると言える。
 それぞれの橋の袂に立つと、不思議な思索的風情が自然に漂う。
 橋は物憂げだ・・・!?
 
 Chapter 21   愁眉を開く・・・日本に一つだけ 三叉川 T字の沈み橋 −宇佐市院内町三叉川− 2008.10.16

 
2007年8月の調査で、大分県には212ヶ所の沈み橋が確認されています。 この数字は高知県、宮崎県など沈み橋の残る他県を圧倒して堂々の日本一。
 沈み橋は大分固有の呼び名で、全国的にはいろいろな呼び名で親しまれています。 沈下橋(高知県)、潜り橋(東北地方)、冠水橋(関東地方)、潜没橋(京都)、潜流橋(広島)、潜水橋(四国中部)などなどです。

 大分にこれほど沈み橋が存在する理由は主に3つ考えられています。
  @ 豊臣徳川時代の小藩分立政策による経済的要因
  A 肥後石工の流れを組む豊前豊後石工の存在があった技術的要因
  B 沈み橋を造りやすい地形、地質的要因

 宇佐市にも数多くの沈み橋が現存しています。
 沈み橋に来て見てください。 懐かしい風景、きれいな水、優しい風、素敵な時間が間違いなくあなたを待っています。
 
 Chapter 20   小屋の力 −宇佐市 柳ヶ浦・城井・・・− 2008.10.13

 
日々変化し続ける風景の中で、小屋は異彩を放つ特異な存在に思える。
 素朴でただ目的に忠実なだけで創られた小屋達。 彼らは、建築家的な社会性もルールも干渉しえない魅惑的な世界を醸している。 超高層の近代建築物と重ねて見ても、その魅力は決して薄らぐことはない。 小屋達には、類まれな時代感覚が備わっているからだろう。
 建物をデザインすると言うことが、様々に絡み合い入り組んだ社会性を、根気良く解きほぐし組み立てる行為とすると、そのプロセスの何処かに必ず小屋の力が潜んでいる。
 
 Chapter 19   宇佐の春を彩る躑躅(つつじ)の寺・・・興祥山宗顕寺 −宇佐市上高家− 2008.05.04

 
つつじは、万葉の時代から人々に親しまれ、万葉集にもつつじを詠った歌が桜ほど多くはないが10首あります。
 「にほふ」、「にほえをとめ」にかかる枕詞つつじ花は、花のように美しい君の意としてしばしば万葉集に登場します。

  つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 (柿本人麻呂)

 つつじの名前の由来は、花が連なって咲くことから「つづき」または、花が筒状であるため「つつ」などと呼ばれるうちに「つつじ」になったとされています。 それとつつじの木はとても長寿。 樹齢は800年から1000年にも及び、その種類は世界で850種。 日本では50種が数えられ確認されています。

 この寺のつつじは一種のみ。 200年(?)以上の古木の群落。 ここには何の作為も諂いも関係ない静謐で上品な宇佐の春だけが存在しています。

  百両の 石にも負けぬ つつじ哉 (小林一茶)
 
 Chapter 18   待合所のある風景 ・・・ 乗り合いバス停留所 −宇佐市院内町界隈−

 
かって、豊州線が走っていた道沿い(長洲〜玖珠線)に、清潔に保たれたかわいいバス待合所がある。 それぞれに異なった待合所は、なぜかその地区の人々の笑顔と暮らしが見えてくる。 幾千幾萬の出会いと別れを演出してきたバス待合所。 変わってほしくない宇佐の景色の一つ・・・・

 「バス」の語源はラテン語で、全ての人々のためにと言うOMNIBUS(オムニブス)からきています。
  
 Chapter 17   流映のレクイエム ・・・ 造り酒屋のレンガ煙突 −宇佐市−



@ 萬歳松
A 静風
B 豊長
C 豊長
D 酔桜
E 酔桜
F 民潮
G 豊長

 
ほんの40年前まで宇佐市は、日本酒の都だった。

 善光 岩清水 白鳩 大元山 中屋大黒 西海の鶴 芙蓉の峰 勲の松 静風 真長
 豊長 九州白菊 酔桜 民潮 萬歳松 神息 正直の誉 和香牡丹 ・・・ 等々

 
(まだ多くの銘柄があったと思いますが、記憶が定かではありません。
  ご存知の方はおしらせさい。 Eメール shiragiku@mx61.tiki.ne.jp )

 昔々、煙突から勢いよく立ち昇る煙を見て人々は繁栄とか躍進とか発展とかを思い描いた。 今、環境破壊、地球温暖化など時代と共に人々の都合によりその価値が変遷した。 
 しかし人間すべからく煙突から来世に旅立つ。
 ・・・・ 煙突は面白い。
 
 Chapter 16   歴史の証人 ・・・ 明治の蛮行、廃仏毀釈 −宇佐市上高−

 
明治元年に発布された神仏分離令は日本全国に廃仏毀釈の嵐を起こします。 急速な近代国家形成を急ぐ明治政府は奇跡的な速さで近代国家「日本」を創り上げてしまいます。 しかし、その過程のなかで生まれた幾つかの矛盾の一つが廃仏毀釈だったのでしょう。 鹿児島県では1616の寺院が廃寺に追い込まれたそうです。
 国学の普及に伴い神仏習合の不純視が加速された事や、徳川幕府(寺社奉行)による寺請制度での寺院を通した民衆管理への反発、不満がその原因だと考えられます。
 神仏習合の先進地宇佐においても例外なく廃仏毀釈の嵐は吹き荒れ、宇佐神宮の神宮寺(弥勒寺)も礎石を残して破壊し尽くされたと聞いています。
 偶然市内で見付けたお顔の無い仁王様は何を語っているのでしょう・・・。

 
 Chapter 15   恐るべき数奇の要塞・・・梵天山法性院善光寺の茶室 −宇佐市下時枝−

 絶妙な場所に置かれた窓は所作のみを、鮮やかにみせる。
 南天の古木の床柱、一切の無駄を削がれた空間は心地よい緊張感のみを増幅させる。
 客と亭主が相対する濃密な宇宙が此処にある・・・・。
 
 Chapter 14   インターネットな生活小径(こみち)・・・せど間 −宇佐市長洲地区−

 救急車も、消防車も入れない超不便と思われる長洲の町。この町にはその不便さを補って余りある奔放で明るい人々の、暖かな心と心の繋がりがあった。

 
 Chapter 13   うさのてつじん (町の鉄人) −宇佐市上田−

 たたいて伸ばす!
   焼いて曲げる・・・
 火花飛ぶ仕事場はまるでラビリンス
   華のアールヌーボーに始まった
    アイアンワーク(アート)!!
 この宇佐の地で、そろそろ半世紀・・・

 鉄人曰く「鉄はアルミやステンレスとちごうて土に戻るんで!」
 
 Chapter 12   麻生の凱旋門・日露戦争従軍兵の帰還記念 −宇佐市下麻生−

――借金まみれの日露戦争――
 日露戦争で掛かった戦費は約17億円。当時の日本の国家予算が2億6千万円。ロンドンやニューヨークで外債を販売し、7億円を調達したそうです・・・。
 アメリカの仲介は日露両国にとって渡りに船。あのまま戦争を続けたらまちがいなく両国とも敗戦、滅亡したかもしれません。
 日露戦争の戦死者はなんと11万8千人(現在の宇佐市2個分)。大分県では1065名の方々が帰らぬ人になっています。 −合掌−
 
 Chapter 11   九州御坊に栄えた門前町の風景 −宇佐市四日市−

 
宇佐市四日市に東西本願寺別院があります。九州御坊と呼ばれた浄土真宗の別院前に門前町のたたずまいが残っています。近年この町並みの保存活性化の気運が盛上がっています。
 Chapter 10   一生に一度だけ願いを叶えてくれるお地蔵様 −宇佐市南宇佐−

 
知る人ぞ知る癒しのスポットは深い森の中にありました。
 足元にある案内板は朽ち果ててはいるものの確かに「一生に一度・・・」の文字が読み取れます。 「伸用仏」の文字も有りましたが・・・?
 神秘的で心洗われる場所には違いない・・・?!

 
 Chapter 9   ハルマゲドンな石 −宇佐市安心院町滑川−

 
著名な「佐田の京石」のすぐ近くにある水田の中に立っています。
 伝承によると、上部の丸い石が落ちると世界の終わりが来ると地区の人々は信じています!?
 いたずら心で夢々この石、落とすべからず!!

−ハルマゲドンはヘブライ語で・・・メキドの丘
 佐田京石の古代シュメール文字も・・・この謎も面白い!

 
 Chapter 8   元気で明るい昭和の食堂 −宇佐市四日市−

−継続は力となり文化となった・・・−

 寺院では食堂と書いて「じきどう」と呼ぶらしい!?
 我家では食事を取る部屋を食堂と呼んでいた時代もあった。
 とにかく料理の種類が豊富で大衆向けの店が食堂と定義されている様だが、この店、実際足を運んで食べてみるとスゴさが理解(わか)る。

 
 Chapter 7   「オジャンになる」の語源は消防信号の鎮火信号・・・!? −宇佐市東高家 ・ 豊前善光寺駅前通り−
 
 火災鎮火の半鐘は2回打ち鳴らされる。 これを「オジャン」。
 物事が無駄になること、 だめになること、 不成功に終わることをオジャンになる。 ダメにすることを「オジャンにする」の語源が鎮火信号。
 消防信号と火見櫓・・・昭和の遺産。

 
 Chapter 6   伊呂波川の源流 お寒水の湧水 −宇佐市上麻生−

 
失われつつある日本の川の原風景を今に伝える伊呂波川・・・・
 流域をウオッチングすると懐かしい大切な刻(時代)へタイムスリップ。 清冽な清水はどこまでも冷たく優しい味がする

 
 Chapter 5   宇佐神宮縁の名水 『セミノクチ誓水(セイスイ)』 −宇佐市下乙女 ・ 乙盗_社−

 
宇佐八幡の摂社「乙盗_社」正門の左側にあります。
 夫婦で訪れると美人のお子さんが授かるかも・・・かぐわしき乙女の水!!
 この誓水は奈良時代、八幡神の洗濯用に辛島勝乙目さんが掘ったと言う由緒ある誓水です。

 
 Chapter 4   宇佐神宮に捧げるお神酒を醸造する水 −宇佐市辛島 ・ 泉神社−

 「宇佐神宮造営日記」に1423年6月17日、この泉御社の池より万病に効く霊酒が湧き出したと記載されています。
 泉神社の別名「酒井神社(宇佐大神に酒を奉ったので)

 
 Chapter 3   中島さんちの版築小屋 −宇佐市上高家−

 
版築は紀元前3000年、古代中国で生まれた建築技法。木材建築に代わる安価で便利な建築技法です。大規模な建築物を建造するときにも活用されています。
 世界遺産の「万里の長城」、「秦の始皇帝陵」も版築。日本の「法隆寺の築地塀」も版築。
 規模のは違えぞ宇佐の版築ここにあり。
 
 Chapter 2   幻のアオギス(青鱚)最後のパラダイス −宇佐干潟−

 
つい見逃してしまいそうな故里の自然。日本一の有明干潟に次ぐ日本を代表する「宇佐干潟」。
 最大海岸線より4km近く広がる雄大な宇佐干潟は、まさしく神からの贈り物。

 
 Chapter 1   天空を見つめる平和の使い −宇佐市東高家 ・ 豊前善光寺駅前通り−

 
大正9年(1919年)11月8日から4日間、二豊(にほう)の原野に繰り広げられた陸軍特別大演習と昭和天皇(当時皇太子)の巡幸を記念して、大正12年に建立された記念碑です。
 当時の新聞(大分新聞)11月12日号にこの様な記事がありました。
『颯爽(さっそう)たる東宮殿下、馬上の御英姿、県下未曾有の大盛観』
 どうして宇佐平野でこの様な演習が行われたのでしょうか。この記念碑がどの様な経過で建立されたのか・・・大変興味を持っています。
 

| return |
Copyright(C) Sakigakeya_Siragiku All rights reserved.