盗 ま れ た 心

目を開けて、一番にしたことは瞬きだった。
「え?」
次いでマヌケな第一声。
視界に広がっているのは、いつもお世話になっている我が山吹中テニス部部室の薄汚れた天井。
ちょっと視線を動かせば並んだロッカーやベンチ、試合の予定表なんかも見えるから間違いない。
「・・・・・・なんで?」
身体を起こそうとして、ある事に気付く。
当たり前のように全く気付かなかったけれど、自分の頭の下にあるモノ。
自分の部屋じゃないとすれば枕である筈がなく。
しかも温かいのはどう考えたって。
そろりと視線を動かせば、見えたのはやっぱりヒトの腕。
男の自分でも「お!」と思うくらいの筋肉が綺麗について無駄な肉がついてない、その腕。
どう見たって女の人の腕じゃない。
ガバッと勢い良く身体を起こして絶句する。
「!!」
隣に寝ていたのが男、しかも腕枕してもらってた、その事が霞むくらいに驚いた新事実。
「・・・・・・なんで俺、裸なの・・・・・・?」
洩れた呟きに反応したかのように隣で寝ていた男がもぞりと動いた。
結構というか、かなりデカい。
部室の床に敷かれた何枚ものバスタオル(部費で買った大判サイズ)から足がはみ出てる。
俺が腕枕にしていた腕のほうを向き、横向きに寝ているそのヒト。
長めの髪がさらりと流れて顔を隠していたけれど、俺と同じように裸の上半身は腕と一緒で無駄な肉がついてない、引き締まったラインでそう年齢は変わらないように思えた。
「・・・・・・起きた、のか」
「え」
寝そべったまま、そのヒトが顔を隠していた髪を掻き上げた。
髪の下から覗いた顔に俺はまたもや絶句。
「千石?」
「・・・・・・ひ、がしかた?」
なんていうかもう、ひたすら絶句。
ようやく搾り出た声はカラカラに乾いてて、咽喉がひりついた。
見下ろした俺を東方?が見上げている。
心底不思議そうな顔をしてたんだろう、「あー・・・」と呟くとよいしょっと身体を起こしてきた。
「何、おまえ。全然覚えてないとか言うんじゃないだろうな」
「え」
胡座を掻き、その膝の上に頬杖をついたかと思うと、思いっきり溜め息を吐かれてしまった。
起き抜けで、あまりの出来事に働く様子がない俺の頭は動く筈もなく。
ぼんやりと見詰め返すのが精一杯。
「ここが部室だっていうのはわかるよな?」
こくりと頷く。
ようやくここに来て、目の前の相手がテニス部仲間の東方だと断言できた。
だって、いっつもかっちりとキメた髪しか見たことなくて。
下ろしたとこなんて初めてで。
身長が驚くくらい高くて、それなりに顔も整ってるとは知っていたけれど。
起き抜けの少しダルそうな感じが普段のキビキビとした東方とは全然別人に思えて、下りた髪から覗く顔は同い年とは思えない、『男』そのものの表情をしていて。
「昨夜、部の連中とココに忍び込んだのは?」
「・・・・・・あーうん、なんとなく?」
「で、隠し持ってた酒をロッカーから引っ張り出したのは?」
「・・・・・・そう、なんだ?」
髪の間からじっと見詰められて、俺はちょっぴり俯いた。
何故なんだか得体の知れない恥ずかしさが込み上げてきたのだ。
顔に血が集中してくのがわかる。
それを誤魔化すように昨夜の事を記憶から探ってみる。
うん確か、部が休みになるとかっていう話で。皆して部活が終わった後メシ喰いに行って、カラオケだとかハシゴして。
妙にテンションが上がってしまった俺たちは『テニスが大好きなんだー!』とか何とかほざきつつ学校に出戻った、んだっけ?
俺のぼそぼそした喋りを聞いていた東方がふぅと溜め息をついた。
「そう。で、さっきのトコに話が続く」
「あー・・・うん」
やれやれといった顔で欠伸を噛み殺した東方を盗み見る。
動くたびにさらりと髪が揺れて。
良く知ってる筈の東方が全然知らないヒトに見えて、妙にドギマギしてしまう。
ていうか、さ。
なんか恰好良く見えるのは俺の気のせいじゃないよね?
勿論、『地味’S』とか俺が勝手に言ってるだけで東方も南もそれなりにモテてることは知ってる。
けど、そういうのとはちょっと違くて。
うまい言葉が見つからない。
首を傾げた俺は東方の綺麗な腹筋に目を奪われて、あることを思い出した。
「あ!ねぇなんで俺たち裸なの!?」
「・・・・・・今頃、気付いたのか」
何度目かわからない東方の溜め息。
それはさらっと流すことにして、東方に詰め寄った。
距離わずか30センチ。
そこまで近づくと聞こうかどうしようか迷っていた事を口に出した。
だって面と向かって聞く勇気はないでしょ、普通。
「・・・・・・も、もしかして」
「もしかして?」
「俺たち、ヤっちゃったの・・・・・・?」
髪を掻き上げようとしていた手を止めて、東方が俺を見た。
驚きました、という表情。
「ホントに覚えてないのか?」
「え?」

それはつまり、そういうことなの?
ヤっちゃったの、俺たち!?
えぇ!?俺、東方と初エッチ!?

パニクったおれの思いは全て言葉になってたらしく、数秒ほうけていた東方がぶふっと吹き出した。
訳がわからず「え?」「え?」と東方を見上げれば。
「ヤったかどうかくらい普通わかるだろ?」
「う。だって腰とか節々痛いし、そういう話聞いたことあったから」
「それは床の上で寝てたからだろ」
「えぇ〜じゃあ何なの」
「酔っ払ったおまえに噴水の中に倒されたんだよ。俺もわりと酔ってたし一緒に倒れ込んで頭からずぶ濡れでさ」
「あー・・・ごめん、ね?」
「ったく。着替えはねーし、そのままじゃ帰れねーし。しょうがないから部室で乾かすことになって」
「こういう時は部室に乾燥機あると便利だよね!」
そういうと軽く睨まれた。
うん、ごめん。
「乾く間ずっと、おまえは眠い眠いって煩いし」
「・・・・・・はい」
「しかも人のこと毛布だとか枕代わりにするしな」
「・・・・・・えへ?」
「寒いっつって、べったり引っ付かれる羽目になるし」
「・・・・・・・・・・・・」
そこで言葉を切った東方は溜め息をひとつしてから、苦笑した。
「まさか、おまえが童貞だとも思わなかったし?」
「!」
うっさいな、俺だって興味が無いわけでもないけどさ。
そういう関係になりたいと思うような子にまだ出会ってないんだよ!
エッチしたからって偉いワケじゃないでしょ!?そう言おうとして、はたと気付いた。
「東方って経験アリ?」
「さぁ?」
くすりと笑って答える、その顔はやっぱり同い年には見えなくて。
目が奪われてしまう――その理由に摩り替えた。
だって何だか俺、変だ。
東方を見ていると胸がドキドキしてしょうがない。
その原因にも心の動揺にも、思い当たることがあるから余計に。
「けど、助かった」
「へ?」
「あのまま誘われるまま、おまえに手出してたら責任取らなきゃいけなかっただろ?」
「へ。え!?」
「なんてったって、バージン貰っちゃったら、なぁ?」
「・・・・・・東方っ!!」
冗談だ。
そう言って笑った東方が俺の寝癖のついた髪をくしゃりと撫でて、その大きな掌が頬をなぞっていった。
するりと滑る、その温かさに。
目をパチパチさせて見上げれば。
「・・・・・・とりあえず、帰るか」
「あ。うん」
東方は少しだけ困ったように俺を見下ろした。
瞬間、触れ合った場所から熱が伝わって、代わりに何か持って行かれたのは気のせいだろうか?
申し訳程度に下ろされていたブラインドの隙間から洩れた朝の光が東方の穏やかな横顔を縁取っていた。