い つ か 見 た 空

元々会うつもりだったある日の事。
決めていた時間に丁度いいかなと家を出ようとしてた時だった。
メール着信を知らせるメロディに部屋のドアに手をかけたところだった俺はポケットに突っ込んでいた携帯を取り出した。
ピッと音をたてて開いたそこには。
『場所変更。駅で待ってろ』
件名もなし、はいつもの事だけど。
どういう事だ?
亜久津からのメールなんて珍しい事もあるもんだ。
俺から送れば返事をしてはくれるけれど亜久津からというのは本当に数えるほどで。
(どれくらいかと言うと思わず保護かけてしまうくらい。ちなみに全部かけてるっていうのは内緒だ)
それに、駅というからにはどこかへ行くつもりなんだろうか。
それこそ珍しい。一体どこへと思いながら窓へ視線を向けた。
・・・・・・雨、降らないよな?

ちょっとドキドキしながら駅に向かうと亜久津はまだ来てなくて。ドキドキしてる、そのまま待つ事になった。
それから5分もしない内に人込みの中に頭ひとつ分出た、見慣れた銀髪が見えた。
「南」
目が合うと名前を呼ばれた。
「よ」とちいさく挨拶すると間の前までやって来た亜久津は顎をしゃくって中へと歩き出した。
その横を歩きながら、とりあえず訊いてみる。
「どこ行くんだ?」
「・・・・・・さぁ」
横目でチラッと俺を見た亜久津は口元に薄く笑みを浮かべてて、何やら今日は機嫌が良いらしい。
益々訳がわからなくなってあれこれ考える。
今日、何かの日だったっけ?それとも俺が何か言ってったっけ?
ホームについてダルそうに立っている亜久津を横目で見やったが思いつく事はなかった。
他の人間にはわからないかもしれないが今も亜久津の機嫌はかなり良いみたいで今にも鼻歌のひとつでも歌いそうな感じだ。
それを見てたら考える事も面倒くさくなって「まぁいいか」と俺も電車を待つ事にした。

「亜久津、どこ行くんだよ」
「いいから来い」
電車に乗って一時間ちょっと。聞いた事もない駅で降りた亜久津の後を追って歩くこと十数分。
何度訊いても亜久津は答えてくれない。
明らかに人里はなれた雰囲気にきょろきょろとあたりを見回してみた。
「おー」
亜久津ばっかり追ってたせいで全然目に入ってなかった、
その景色。右手側にはなだらかな斜面があって、その先はこんもりとした林が広がってて。左手側には一面に広がる田んぼ。
風が吹けば植えられてる稲がさわさわと揺れて、それが斜面を覆う草花にまで伝わっていく。
未だに舗装されてない小石が転がる小道といい、林の中に見える緑が眩しい大きな木といい、来た事もないのに懐かしく感じてしまって、じっとその風景を見てた。
「うわーなんかトトロとか出てきそう」
見詰めてた俺がぼんやりそう呟くと、数歩先で立ち止まっていた亜久津がはっと笑い出した。くつくつと笑う亜久津にバツが悪くって小さく睨むとまた笑われた。
「いいじゃん、そう思ったんだから」
だって話の始まりにみたあの風景となんだか似てたんだから、しょうがないじゃん。
まだまだ夏の日差しは強いはずなのに、そんな事も気にならないくらい眺めてると亜久津がまた顎をしゃくった。
「見せたかったのはココじゃねーんだよ」
「え」
「いいから来いって」
「え。ちょ、ちょっと亜久津」
亜久津の台詞に一気に頬が熱くなった。これは日差しのせいなんかじゃない。
ほら、と当然のように掴まれた掌から伝わる亜久津の体温。
手を引かれ、引っ張られるように舗装されてない小道を進むとふわりと鼻をかすめた香り。ゆるりと吹く風に乗ってきたそれは。
「・・・・・・え」
ずんずんと歩いていく亜久津を小走りで追って行くとカーブを描いてた小道の先に茂った木々で出来た自然のトンネルが見えて。
木漏れ日の下を通り抜けて、視界が開けた、その瞬間。
ふらりと髪を揺らす、どこかしょっぱい風が頬を撫でて行った。
「・・・・・・う、わー」
なんだよ、これ!
「・・・・・・驚いたか?」
「わー!すっげー、すげーじゃんココっ!」
俺たちの目の前にあったのは大きな海。
ちいさな浜辺のそこは人影なんてなく、打ち寄せる波飛沫と遥か遠くに見える波間がきらきらと輝いてて。
水平線の上には濃い青空ともくもくと増えてんじゃないかと思うような入道雲のコントラスト。
白い砂浜が眩しい、ちいさな浜辺は緑の木々に囲まれていて、ひと気のなさが嘘みたいに綺麗だった。
ゆるりと浜辺まで続いている小道も途中からはきらきらと小さく輝く砂に変わっていく。
進むごとにサクサクと砂を踏む音が大きくなって、いてもたってもいられなくなった。
波打ち際まで走っていくと靴を履いてるのももどかしくなって、亜久津を振り返った。
「すっげーな、ココ。驚いたーっ!」
あまりのはしゃぎっぷりに、呆れたように俺を見てた亜久津にそう言って抱きつく。
汗掻いてるとか暑いだろうなとか、そんな事は頭の中から抜けてた。
いきなり抱きつかれた亜久津が吃驚した顔で見下ろしてて、それが笑えた。
「見せたかったのって、ココ?」
抱きついたまま胸元で首を傾げるようにして亜久津に訊くと、ふいっと顔を背けられた。耳のあたりがうっすらと赤くなってるから照れてるんだとわかった。
「・・・・・・驚いたか」
「うん。人でごった返してる海よりかはコッチのが好きかも」
「ふん」
逸らされた視線は俺を見る事はなかったけれど、亜久津の気持ちは伝わって来て、引っ付いてるだけでも充分だった。
「亜久津ー」
「ああ?」
「連れて来てくれて、サンキュ」
「・・・・・・」
嬉しさと気恥ずかしさ両方で「えへへ」とぎゅうっと背中に回した腕に力を込めると亜久津の顔が近づいてきた。
ちゅっと音をたてて離れた時にはもう、いつもの亜久津の顔だった。
「ココに人連れてきたのは、テメーが初めてだ」
海を見詰めたままの亜久津にそう言われて、かぁっと赤くなった。
それって深読みしてもいいのかなー。
絶対に訊けはしないことを考えて今度は自分から亜久津にキスをした。
「来年もココ、連れてきてくれよ?」
キスの合間に呟いた俺の台詞に亜久津のキスが深くなった。