先 生

「俺、先生のこと好きなんだけど」
ひとりだけ残された補習の時間。
プリント片手に説明してくれてた先生の話が途切れたのを見計らって、そう口に出した。
「そりゃどーも」
やっぱり。
返ってきた言葉は想像してたモノと全く同じ。
少しも動じることなく、普段と変わりない先生は「へぇ」とばかりに俺を見た。
その視線を受けた俺は机についていた頬杖の格好を解くと、背筋をしゃんと伸ばして先生を見た。
「俺は本気。先生のことが好き」
ゆっくりとそう口に出したら、苦笑されてしまった。
「本気だって?」
「そう、真剣なんだよ?」
先生は持っていたプリントで自分を仰ぐ。
ハタハタいう音がしんと静かな教室に響いた。それに合わせて揺れる先生の撫でつけられた黒髪からほつれ落ちた前髪。
「真剣、な。だとしても俺には答えようがない」
「どうして?俺が子供だって言いたいの?」
「それもあるがな」
「子供でも人を好きになれるんだよ?」
苦笑したままの先生がちいさく息を吐いた。
「だから俺にどうしろって?」
「それは」
「じゃあ聞くがな。おまえだって幼稚園児から好きだと言われたって本気にするか?」
「・・・・・・」
「それに、子供だとかどうかと言う前に俺は教師で、おまえは生徒。人の道を教えなきゃいけない立場の俺が『はい』なんて言えるか?」
「・・・・・・」
ワイシャツの第一ボタンが外されて緩く結ばれたネクタイ。高い身長に良く似合うまっさらな白衣。
対して、俺は山吹の有名な白ラン。
ただでさえ離れている年の差をまざまざと実感させられる。
先生が動くたびに翻る裾が目に焼きつく。
確かにね。
わりに授業をサボる俺相手に他愛もない世間話とか色々とよく話してくれて。
放課後、先生の受け持つ理科準備室でビーカーで淹れてくれたコーヒーとかカップラーメンだとかご馳走になったり、興味を示した本だとかDVDだとか貸してくれたりしてくれるけど。
そこらへんの奴等より仲が良いといえるとはいえ、やっぱり何十人何百人といる生徒の中のひとりでしかなくて。
その中から「好きだ」って言って、「俺も好きだ」と簡単に返してもらえると思った訳じゃない。
俺だって10も離れた、ほとんどと言ってもイイくらい知らない人間から告白されたって「何言ってんの?」くらいにしか思わないだろうし。
しかも同じ男の俺から告白して、素直にその事を聞いてもらえただけでも有難いことだと思う。
でも、だけど。
「・・・今どうこう言うつもりはないんだ」
「ああ?」
「ただ、俺は。俺が先生のこと好きだって知ってて欲しかっただけ」
「答えは要らないって?」
「うん。始めから先生の返事わかってたし」
返してもらえない返事を強請るほど子供でもないつもりけど、気持ちを抑えておけるほど大人ではないから。
えへへ、と笑って。
知らず泣きそうな昂ぶりを飲み込むようにして、そう言うと先生は僅かに眉根を寄せた。
困らせたい訳じゃない。
ううん、ホントはわかってるんだ。
気持ちを伝えること自体が俺のエゴでしかない。答えを要らないと言っても、そう言われて「はいそうですか」と忘れる人なんていない。
例え、この先。
俺の存在を、俺の告白を忘れてしまうとしても。
これまで同じように気持ちを伝えた人たちと一緒にしないで欲しい、それだけの気持ちだったのに。
「忘れて、とは言えないし。でも避けられることも嫌だし」
「・・・・・・我が儘」
「だよねぇ。うん、でも今この瞬間だけは先生は『俺』のこと見てくれたでしょ?」
一瞬でも。
大勢いる内の中から俺は一歩前に出た存在だったでしょ?
「俺は先生が好き」
「・・・・・・千石」
「気持ちは止められないからさ。俺に先生のこと好きでいさせてください」
俺の気持ちを否定しないで。
言い切った俺から視線を外すと先生はちいさく息を吐いた。
俺も机に散らばらせていたプリントを集めるとただ一本持ってきていたシャーペンを胸ポケットに突っ込んだ。
カタンと音をさせて立ち上がると先生の視線が俺に戻る。
「これからも目の前をちょこちょこするかもしれないけど、俺のこと無理に見ないでいいから」
「・・・・・・・・・・・・」
「普通の生徒扱いで構わないから・・・せめて、俺のこと嫌わないで」
とりあえずといった風に並べられた机と椅子の列の間を後ろに進む。
握りしめたプリントがぐちゃぐちゃになったのがわかったけれど、あえて気づかない振りをした。じゃないと涙が出そうだったから。
ごめんね先生。・・・ありがとう。
教室の後ろのドアまで来て、手をかけようと腕を伸ばした。
「・・・・・・・・・・・・、先生?」
「ったく!」
後ろから漂ってくるのは先生がいつも吸ってる煙草の匂い。
ふわりと頬を髪の毛が掠めて。
きゅうっと抱きしめられていた。
肩に乗せられた額から先生が笑っているのがわかる。
「おまえ・・・人の気持ち、台無しにしてくれたな」
「え」
「言いたい事だけ言って、それで終わりか」
「・・・・・・何」
抱きしめられて、くっついた背中が異様に熱い。
耳朶を掠める先生の声と吐息に、ぐらぐらと視界が動く。
ちょっと待って。
この状態って、何なワケ?
後ろから抱きしめられている自分と、俺の身体に腕を回してる先生とを想像して血が逆流しそうになった。
先生の言葉も耳には届いているけれど、意味がわからなくて。
俺は思わず黙りこんでしまった。
「・・・・・・返事いらないのか?」
可笑しそうに咽喉を震わす声。
その声につられるように首を少しだけ動かして、ぼんやりとした視線を向けた。
「・・・・・・返事、くれるの?」
くすりと笑って、先生が頷く。
抱きしめられた腕に力が篭もった。
「・・・・・・俺も、おまえが好きだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・シカトか?」
苦笑するようにそう呟かれて。
先生の腕を振り払うようにして、その温かさから逃げ出した。
一歩踏み出して、先生を振り返る。
じっと見上げると先生は緩んでいたネクタイをさらに緩めて、俺を見てちいさく笑った。
「信じられないって顔だな」
「・・・・・・信じられない、に決まってる」
「どうして?」
「・・・さっきの自分の言葉、覚えてるでしょ?何ていったっけ?」
「あれは建前」
あっさりとそう言うと白衣のポケットを漁り出した。
ふと手が止まって、取り出されたのはいつも先生が吸っている煙草。中を覗いた先生はちっちゃく舌打ちすると大きな掌でくしゃりと握り潰した。
「建前って・・・」
「いきなり告白しといて、俺も『そうだ』と言ったところでおまえはどの道信じられなかっただろ?」
「・・・・・・う」
「元から答えを欲しがってない奴に答えをやったってな」
確かに、さっき告白した時にそう返されたら「子ども扱い」されたと思うだろう。
そういう意味での「好き」じゃないんだと喚いたかもしれない。
いちばん貰いたい答えはいちばん難しいものだと知っているから。
「・・・・・・じゃあ何、先生ホントに俺のこと・・・・・・?」
「好きだ」
真正面から見詰められ、はっきりと告げられて。
数秒たって脳に届いたなーとか思った次の瞬間、俺の顔は真っ赤になった。
というか全身から火を噴いてしまったような感覚。
なんかもうマトモに先生を見れなくて、視線をぎくしゃくと外して俯くのが精一杯。
すると1メートルも離れていない先生からため息が聞こえてきて。
パッと顔を上げると先生と目があった。
「・・・・・・おまえなー」
「え」
「反則技、使うなよ」
「?」
意味がわからなくて首を傾げると。
「やってられん」という益々意味不明な台詞とともにまた抱きしめられた。
バタバタし出した俺の頭の上に自分の顎を乗せると、先生が低く笑った。
その伝わってくる振動にゾクリとする。
「自分がどういう顔してるか、わかってるか?」
「・・・・・・何それ」
何がなんだかもう訳がわかんない感じで。
熱が出た時みたいにボーっとした頭じゃ短い返事を口にするのが精一杯。
「ったく。卒業まで気長に待とうって決めた俺の気持ちが台無しだ」
言葉とは裏腹な楽しそうな口調で言われて、俺は先生の腕の中でますます俯くしかない。
嬉しすぎて、怖い。
嬉しすぎて、震えてしまう。
身体も心も落ち着かなくて、抱きしめられた腕の中、もそりと動くと少しだけ腕の力が緩んだ。
白衣に押しつける格好だった顔を上げる。
「・・・・・・・・・・・・、!」
目があって。
こくりと息を飲んだ。
「俺をこんなにしたの、オマエだからな」
そんな台詞が耳に届いた次の瞬間、先生の大きな手の感触と煙草の匂いとが俺の世界になった。
そうだ、なんで気づかなかったんだろう。
先生はいつも。
理科準備室、ふたりきりで・・・ビーカーで淹れてくれたコーヒーを渡してくれた時。
遅刻してひと気のない廊下ですれ違い様、こつんと拳骨を落としてきた時。
いつだって、今みたいな優しい色をした瞳で俺を見てた。
そんな瞳に魅せられて「勘違いしそうだ」なんて思ってたんだ。
ねぇ先生?
「勘違い」しても良かったんでしょ?
扉に押さえつけられた俺の口唇を覆うのは先生のそれ。
優しい色なんてない、容赦ない口付けだったけれど。
今まで抱え込んできたお互いの気持ちが現れたみたいで、段々と深くなっていくだけだ。
扉から伝わる冷たい金属の感触とそれ以外から伝わる先生の熱と。
混ざり合って、自分の中に孕む熱と融合する。
「好きだ」
「・・・大好きです」
口唇が離れて、互いに出した言葉。
いろんなモノが原因で潤んだ視界に見えた先生も少しだけ泣きそうに見えたのは俺の目の錯覚なのかな?
ねぇ先生。
俺を先生にあげるから、好きにしていいから・・・俺にも先生をちょーだい?