宣 戦 布 告

東方家が視界に入るところまでやって来ると門扉の前で蹲っている小さな人影を見つけた。
階段状になっている段差の一番下に腰掛け、両膝を抱え、その谷間に顎を埋めている恰好。
通り過ぎる人影にピクリと反応しては、立ち止まる気配がないとわかるとまた元の恰好に戻る、その繰り返し。
足を止めてその様子を窺っていたが、ある事に気づいて歩き出した。
東方家門扉前1メートル。
わざとジャリっと音を立てて、立ち止まると俯いていたその人ががばりと顔を上げた。
「あーやっぱ希美くんだ。どうしたの?」
「・・・・・・せん、くん」
そこにいたのは東方家次男坊、つまり東方の弟である希美くん。
来年小学校に上がる希美くんは東方と違って、かなりちんまい。170センチの俺を見ようとするとだいぶ見上げなきゃならない。
その場にしゃがみ込むと目線が近くなった。
「どうしたの?もう暗くなるからお家入んないと駄目じゃない」
そう言うと唇を噛み締めている希美くんの顔を覗き込んだ。
どちらかというと大人しくてお利巧さんな希美くんのいつもとは違う様子にあれれと首を傾げた。
なんだろう、怒られでもしたのかな?
もしそうなら突っ込んだ事聞かないほうが良いかもしれない。
「ね、お家入ろう?」
俺と一緒にさ。立ち上がると門扉に手をかけた。
こういう時って誰かと一緒のほうが気持ち的に楽だよね、なんて内心でわかった顔をして希美くんを振り返ろうとした。
でも一足早く、希美くんの手が重なった。
ぎゅうっと力の限り握りしめられる。ホンの子供の力だから痛いなんてことはなかったけれど。
「希美くん?」
「・・・・・・おにいちゃんがねっ」
「え?」
ぎゅうと握りしめたまま俯いている希美くんが口を開いた。
なんだろ、やっぱり東方にでも怒られたのかな。
繋がった手はそのまま、もう一度しゃがみ込むと希美くんに向き直った。
「東方がどうかしたの?」
「・・・・・・ぼく、おにいちゃんがだいすきなの」
「うん。希美くんは東方大好きだよね〜」
年の離れた東方家の長男坊と次男坊は仲がいい。
10歳違えば喧嘩相手にはならないから仲が悪い訳はないんだけど、「おにいちゃん」「おにいちゃん」と後をついてくる弟はやっぱり可愛いみたいで俺に対する感じや学校にいる時なんかとは空気が違う。
そんな東方の空気が伝わるのか、その年にしては珍しくお母さんよりお兄ちゃんが大好きと言って憚らないのだ。
頷いた俺を見て、希美くんはまたきゅっと口唇を噛んだ。
「でも、でもね。おにいちゃんはぼくのこと、すきだっていってくれたけど」
「けど?」
「いちばんじゃないっていうの」
うるうると瞳を潤ませて、希美くんが俺をじっと見上げてきた。
「いちばんじゃない?」
鸚鵡返しに訊き返すとコクンと頷く。
泣かないようにと、ぎゅっと噛み締めた顔はやはりどこか東方と似ている(東方はお父さんとそっくりで希美くんはお母さん似なのだ)。
少し考えて膝を折ると希美くんと目線が合うようにしゃがみ込んだ。
うん、やっぱり兄弟だねぇ。
真正面、間近でマジマジと希美くんの顔を見る。
パーツパーツで見ていくと10年前の東方ってこんな感じだったのかなと思わせる容貌をしていた。
成長していったら、東方より性格が温和な分、モテるのは必至だろう。
「・・・・・・おれのいちばんはせんごくだって、そういうんだもん」
「え。へ、俺?」
つらつらと少し方向性の違うことを考えていたら、自分の名前が出てきて驚く。
でも待てよ、と希美くんの台詞を噛み砕いてみる。
『俺の一番は千石だ』
ええ!?
漢字に変換して、それが脳に届いたと感じた瞬間。ぼわんと煙を吐いたように熱が膨らんだ。
いくら保育園生だからって、弟相手に何言ってんの!東方!
物凄く嬉しい反面、死ぬほどの恥ずかしさまで襲ってきて俺は撃沈した。
折っていた膝に思わず顔を埋める。
ここが往来じゃなかったら「わーわー」言いたい、つか叫びたい気分だ。
火照ってしょうがない頬をジーンズに寄せていたら、そぉっと触れてきた手の感触。
柔らかな指先が俺の腕に触れていた。
「せんくんもおにいちゃんのこと、すきなの?」
「・・・・・・うん」
「せんくんのいちばんもおにいちゃん?」
「うん。俺の一番も東方だよ」
「・・・・・・ふぅん」
まだ赤い顔を上げると希美くんに覗き込まれた。
なんかこれって、さっきと立場が逆?
俺の返事に希美くんの俺をじっと見詰めていた視線がふと泳ぐ。
それも瞬きするほどのこと。また俺に戻ってきた視線は先程までの泣きそうなものではなく、いつもの状態に戻っていて、少しだけ安心する。
「あのね、せんくん」
「うん?」
さぁお家に入ろう?と促したところで立ち上がった俺の手を希美くんの手が伸びてきて、きゅっと握った。
まだ入りづらいのかなーなんて思っていたら。
「ぼくね、おにいちゃんのこともだいすきだけど」
握られていた右手だけじゃなく左手も取られて。
向かい合わせになると希美くんが精一杯背伸びをしてくる。
うん?と首を傾げた瞬間。
「せんくんも、ものすごくだいすきなの」
ちゅっとカワイイ音と共に口唇ど真ん中にキスされた。
両手を掴まれて引っ張られた俺は、腰を折った中途半端な格好のまま唖然と希美くんを見る。
目が合うと、にこりと希美くんが微笑む。
つられて笑ってしまった俺にもう一度キスしてきた。
「・・・・・・で。玄関先で何やってんだ、おまえ達は?」
突然、降ってきた低い声に我に帰った。
間違える事はないだろう、俺のいちばん大切で大好きな、東方その人の声。
「・・・・・・東方〜」
腕を振り払うことも出来なくて、されるがままの俺は泣きたいような笑い出したいような気持ちを抑えて東方の名を呼んだ。
と。東方の姿を見とめた希美くんが俺の手をパッと離した。
離れたちいさな手の感触に、ほっと息をつく。
が。
「ぼく、おっきくなったら!」
東方の横をすり抜け、玄関ドアへと行き着いた希美くんは振り返り様、大きく叫んだ。
「おっきくなったら、せんくん、およめさんにするんだからっ!」
「・・・・・・・・・・・・あぁ?」
「おにいちゃんにはまけないもんっっ」
ぼくだって、せんくんのことだいすきなんだからっ!
そう言い放つと同時にパタンと玄関のドアが閉まり。
「・・・・・・イイ度胸じゃねーか、あいつっ・・・・・・!」
閉まったドアを横目で見やり、ぼそりと。
弟相手に苦虫を噛み潰したかのような声音で呟いた東方の横で俺は冷や汗を流して声もなく笑った。
でも笑っている場合じゃなかったのだ。
東方の大きな手でガツリと腕を掴まれ引き寄せられて。
薄暗くなった往来の玄関先。
薄く笑った(・・・でも目は絶対に笑ってなかった!)東方は俺の耳元に、静かに自分の口唇を寄せてきた。
「・・・変な気起こさないよう、身体に教えておいた方がイイよな?」
首を上下に振るしか生き残れない・・・!と思わせた東方の眼光に負けた俺はブンブンと音をさせて頷くしかなかった。