感 情 泥 棒

「千石」
聞こえてきた声に顔を上げると、ちょうど東方が千石に向かって顎をしゃくっているところで。
それまでつまんなさそうに雑誌を捲っていた千石が弾かれたように顔を上げたのが見えた。
遠目にも目が輝いているのがわかって苦笑する。
「・・・・・・わかりやす・・・・・・」
「単純」
呟いたら隣で、(俺には読めない)横文字で書かれた分厚い本を読んでいた亜久津が同じようにに呟いて。
頬杖をついた格好でのめり込むように本へと視線をとしていた亜久津からの言葉に「え」と見れば、その格好のまま。
「構ってもらいたいんだったら自分から動きゃいーだろーが」
興味さそうな声だったけれど、言われた台詞をよくよく考えてみれば。
「なんだかんだ言って、亜久津って千石のこと良く見てるよな」
「ああ?」
格好はそのままだけど視線だけが動いて俺を見る。
剣呑な光が見えて、苦笑した。
地道にレベル上げしてたゲームのコントローラーを放り出すと亜久津のすぐ隣へと移動する。
亜久津が器用に片眉をあげた。
「・・・・・・やけに素直じゃねーか」
「うん?」
にこりと笑って亜久津を見やると、ふいっと視線を逸らされた。
その肩に凭れかかるように頭を預ける。
ピクリと反応はしたけれど亜久津は何も言わないし動こうともしない。
くすくす笑い出した俺に亜久津の拳が降ってきた。
コツンと。
全然痛くはないものだったけれど。
「だってさーああいうの見せ付けられちゃうと対抗したくなんない?」
「・・・・・・南」
「なんつーかこう、ね?」
ふふっと笑った俺と憮然とした表情の亜久津の視線の先。
「おまえはコーヒー薄いのがいーんだろ」
「うん。・・・・・・で、あと」
「ミルクありの砂糖なし」
「そ」
俺と亜久津の分と、自分の分を淹れた東方がわざわざ千石用に薄いコーヒーを淹れてやってる最中で。
両手で持った木製のトレイの上に自分のマグカップをのせた千石がその隣で大人しく待っている。
コーヒーを淹れる東方を飽くほど見詰めてる千石。
ふだん俺たちといる時は絶対に見せない顔。ふだんの千石っていうのはどちらかと言うと猫属性だと思うのだ。
誰彼の傍にまでは行くけれど、するりと通り抜けて行く感じ。
にっこり笑って、気を引くだけ引いてそっぽを向く。気まぐれなオレンジ色の猫。
だけど、ただ一人。
東方に対してだけは千石は忠誠心剥き出しな犬だと思う。
現に今、見えない耳をピンと立てて尻尾を千切れんばかりに振っているくせにコーヒーを淹れる邪魔にならないよう、じっと見詰めてるだけで。
それまで放って置かれて飛びつきたいだろうに、ただじぃっと。「我慢我慢」と唱えているのが傍目にわかるほどの一心不乱さ。
「アイツのああいうとこ可愛いと思うんだよな」
「・・・・・・・・・・・・別に」
な?と訊けば、嫌そうな顔になるけれど。
亜久津だって実際似たようなこと思ってんのは俺にだってわかる。
方向性がまぁ、ちょっと違うんだけど。
「ほら」
「ありがと」
東方の淹れてくれたコーヒーがなみなみとマグカップに注がれる様を見ていた千石の顔が綻ぶ。
花が咲くみたいに、嬉しそうに。
子供が玩具をもらったみたいに喜んでいる姿そのままな千石は、両手で持ったトレイを目線と同じくらいに掲げてはあっちこっちと角度を変えて嬉しそうにマグカップを見詰めている。
ちょっとだけ瞠目した東方はそんな千石に気づかれないよう小さく苦笑を浮かべた後、その表情を隠して。
キッチンの縁へ片手を置いた東方が空いた、もう片方の手を千石の顎にかけて自分の方へと向ける。
「え?」
トレイを掲げた千石がその感触にきょとんとして、東方を見ようとしたその時。
千石の顔に影ができて。
「今夜はもう出てこないかなー」
「かもな」
噛み付くようなキスをされた千石は息も絶え絶えといった状態で。
腕の中に隠れた、ちらりと見えた耳までもが真っ赤になってた千石を抱きかかえるようにして東方は奥の部屋へと行ってしまった。
せっかく淹れたコーヒーはたぶん冷め切ってからじゃないと千石の口には入らないだろう。
肩を竦めながら自分たちの分を取りに行った俺を見た東方は表情を映さない目で「悪いな」と言っていたから。
今夜はもう奥へと続く扉が開くことはない。
それは絶対。
「やっぱ可愛いと思わねぇ?」
「・・・・・・ふん」
一度、ちらりと奥へと続く扉へ視線を向けた後。
寄りかかっていた身体を預けたまま、腕を亜久津の首へ回した。
めずらしく驚いた顔で俺を見る亜久津にそっとキスをする。
「・・・・・・!」
窓から入る風に亜久津が読んでいた本の頁が揺れた。
パタンと音を立てて閉まった本からはもう頁の揺れる音はしなくなった。
「・・・・・・『南もああいう可愛いトコ見せてくんねぇかなー』」
「!」
「おまえ、あの時そう思っただろ?」
驚きに、奥の部屋へと消える前、東方がみせたような表情をみせて。
亜久津が俺を見る。
その口唇にもう一度キスを落とすとゆるく抱きしめた。
可愛いとは思うけど、俺は千石じゃないから。
けど、好きな気持ちは負けない。
俺は俺のやり方でその気持ちを伝えたい。
「喰われてやってもいーけど?」
そう囁くと妙に落ち着かない亜久津の腕が俺に伸びてきて。
微笑んで、その手に自分のものを重ねるとゆっくりと後ろへと倒れ込んだ。