距 離

3時間目が終わり、教室はざわざわとした心地よい喧騒であふれる。
東方は前に時間に使った数学の教科書とノートを片付けると、後ろの席で机に突っ伏していた千石を振り返った。
教室の列の真ん中、いちばん後ろ。
学年でも1、2を争う長身の東方の後ろの席は寝るのにもってこいの場所。
めんどくさかったり朝練で疲れたといった時はほとんど寝てる千石だが、腹の立つことに成績は良かったりする。
東方とふたり、クラスはもちろん学年でも上位に位置しているのでわかっていても先生方からお叱りを受けることは少ない。
「千石」
じっと見下ろしていた東方が声をかけた。
何回目かの呼びかけに千石がやっと顔を上げた。
「ん・・・何?」
「何ってもう3時間目終わったぞ」
「え。もうそんな時間?」
頬杖をついて身体を起こした千石が目を瞠る。それでも、どこかぼんやりとした表情の千石の様子に東方が苦笑する。
千石はふぁ、と生あくびを噛み殺したりしていて。
「・・・大丈夫か」
イスに横向きに腰掛けていた東方が千石を見やる。
「んー大丈夫だよ。俺が言い出したんだし」
東方は気にしないで。そう言うと眠たげな顔のまま、ほにゃっと笑う。
「東方こそ大丈夫?」
「ああ、俺は別になんとも・・・身体に負担はないしな」
「あはは。だねー」
千石は何かに憑かれたように東方を求めることがある。
ふだんと変わらなく学校で授業を受けて、テニスをしたり、亜久津とさぼってみたり。
いつもと変わらない生活をしていて、突然。
部活が終わり自分の家に帰ってきた東方の前に千石の姿。
項垂れたような千石の様子に東方は自分の部屋へと上げて。
「どうした?」と訊いたら、いきなり。
「東方、ゴメン」
そう呟かれ襲われるように組み敷かれた。
昏い色の瞳をした千石に見下ろされ、東方はちいさく息を呑む。
「・・・いつものヤツか?」
「・・・うん」
ごめんね、と口の中で呟いて、そのまま東方へと口付けた。
あとは狂ったように東方を求めて、これ以上はないというくらいに乱れる。
勿論お互いに快楽のツボを知ってる間柄だ。追われるような快楽の波に東方も身を委ねれば、あとは千石の望むまま何度も絶頂に導くだけで。
明け方近くに体を離すことを承諾してくれた千石は、いつもと同じようにゆるく笑っていた。
それから数時間、死んだように眠ったものの肉体と精神の疲労が色濃く残っているのがわかって、学校に行かなくてはいけない時間になったところで東方はこのまま自分の部屋で千石に寝てるよう言ったのだが。
「何言ってんの。いきなり押しかけ泊まっといてだよ、他所様の家で寝てるわけにはいかないでしょ?」
疲れた顔色の千石が言うこともあたりまえと言えば、あたりまえで。
しょうながなく、東方はふらふらと歩く千石を抱えるようにして学校にやって来た。
そして先ほどのところに話は繋がる。

「顔色悪いぞ」
「そー?」
頬杖をついたままぼんやりと窓のほうへ視線を向けた千石がちいさく返事を返す。
太陽がだんだんと真上に近づいていくせいで、教室の真ん中あたりまでしか太陽の光は届かない。
その太陽の光が千石のオレンジ色の髪にあたって、キラキラと輝いている。
日焼けしにくい体質なのか。あれだけテニスコートにいても千石の肌は東方のものと比べると段違いに白いといえるくらいで。
横目で見ていた東方の胸中がざわめいた。
「千石」
「ん」
「ホント無理なようなら保健室行くぞ」
会話をしていても千石の視線が東方を捉えることはない。
焦れた東方が千石の頬杖をついていた腕をつかんで、自分のほうへと向き直させた。
「千石、俺は」
言葉をつむごうとした東方にやっと顔を向けて、千石がうすく笑う。
「東方、わかってる・・・俺の中のことだよ?東方もわかってるでしょ?」
「けどおまえ」
「うん。保健室はめんどくさいから屋上でも行くよ」
「千石!」
話は終わり、とほにゃっと笑うと千石が席を立つ。
その背中を見送った東方も舌打ちすると音をたてて席を立ち、千石の後を追った。
行為の最中、千石は何も言わないけれど。
原因は自分のことだと東方はわかっている。
一言で言えば『不安』。
どれだけ傍に居たとしても、言葉を交わしても、千石のそれが消えてなくなることはないらしい。
俺様ルールで生きているように見えてけっこう繊細だったりする。
いつも笑っているのは千石なりの防御壁だ。人を招いているように笑っていても、その実、人を拒絶していたり。
昨日みせた千石の『不安』は東方が告白されていたところを見てしまったから。
いつもなら事前に知らせてたり、本人の目の前で呼ばれたりして、それなりに千石自身にも心構えができるヒマもあるのだが。
昨日は千石が亜久津とサボっている時に呼び出され、会うことが出来ないまま告白タイムに突入してしまって。
そういう時に限って、千石本人がその場面に遭遇してしまったり。
東方としても好き好んでそういう場を提供したいわけじゃなかった。
目があった瞬間の千石の表情。
思い出しただけでも東方の眉間にしわが寄った。
こんなに気にかかるのは千石、おまえだけなのに。
抱きたいと、ひとつに溶け合いたいくらい好きなのは千石・・・おまえだけなのに。
千石の笑う顔が本物になるようにいくらでも言葉で、態度で、示そう。
いつか。
ふたりの距離がなくなるまで。

気合いを入れて、東方は屋上の扉へと手をかけた。