偶 然

山吹に入学して3日目。
早くも寝坊してしまった俺はゆっくりと学校へと続く坂道を歩いていた。
建物が見えるところまできて、校舎の壁にかかった時計の針が2時間目が始まったことを示しているのを見てゆっくりだった歩みがさらに鈍くなった。
桜が散って降り注ぐ並木道。
バタバタと走り抜けるのは野暮な気がした。
山吹のこの桜並木はけっこう有名で。
下から学校へと上がるまで軽く20分はかかる坂も、この時期だけは嬉しがられてたりするらしい。
どう急いでも遅刻にはかわらない。
途中で学校へずっと続いている背丈ほどの金網を上って、敷地へ入り込んだ。
ひと気のない敷地にあるのは桜の木ばかり。口が開いてるのにも気にしないでぼけっと上を見て歩いていた。
視界に広がるのは桜、桜、桜。
はらはらと流れては消えていく花びらをただ見つめて。
だから。
いきなり視界がぐらりと傾いた時。
何が起こったのかわからなくて抜群の運動神経を誇っているはずだった自分があっさりと倒れこんだのに気づいたのは、下から人の呻き声がした、まさにその時だった。
「おい・・・早く、どいてくれ」
「え。あぁごめんなさい」
低い声に驚いて慌てて横に退いた。
謝ったあと、横で身体を起こした人物を改めて眺めてみたりして。
「あ、山吹の人?」
「・・・ああアンタもか」
片膝を立て、ゆっくりと身体を起こしたのは俺と一緒で白い学ランを着込んだヤツだった。
真っ黒のハーフ丈のコートを着込み、すぐそばの木の根元には薄っぺらい鞄と無造作にたたまれ放り投げられたモノカラーのマフラー。
その上に積もった桜の花びらの量がすごくて、だいぶ前からここにいたんだろうことに気づいた。
「えっとココ、で何してた・・・の?」
髪についた花びらを大きな手で払っていた目の前の人物に声をかけてみる。
途中でどもってしまったのは、同じ新一年生か先輩になる人なのか判断しかねたから。
割とというか、身長はだいぶ高いみたいなのはわかった。同じように座っていても目線の高さが微妙に違っていたし。
目許が隠れるくらいの前髪の長さで顔はほとんどわからない。
「・・・何って寝てたに決まってんだろ」
そう言って口元のキズに手を当てた。喋ったので痛かったらしい。
そう、目の前のこの人はいかにも喧嘩した後という感じでコートはもちろん、白ランもどこそこに血や泥がついてて。顔や手にも血がこびりついていた。
真っ白い白ランなら、俺と一緒で一年生かなとも思うけれど。
どうにもこうにもその判断は難しかった。
「そう言うアンタは?」
サボりかよ。こほっと咳き込みながら訊かれて。
「うん、寝坊しちゃって。どのみち2時間目も間に合わないから時間潰そうと思ってココ来たんだけど」
思わず正座しなおして答えた俺をちらりと見やるとまた視線が外される。
「・・・ふぅん」
「・・・え・・・っと」
「・・・・・・」
「・・・ジャマ、かな・・・?」
上目遣いに訊くと見えない前髪の奥から見つめられてるらしい。
しばらくの間があって。
「好きにすれば」
「あ、うん」
それはどうもありがとう。丁寧に頭を下げるとちいさく笑われた。
その感じが嫌なモノじゃなかったから、思い切って見上げてみた。
「あの・・・それって、ケンカ?」
自分でもおいおいって思うくらい震えてしまった声に振り向かれてしまってバツが悪い。
うわ、俺ってバカ??
「いやあの、ね?別にびびったとかじゃなくって、その、なんか緊張しちゃって・・・――って、あの?」
しどろもどろで言い訳なんかしてみた俺は、くつくつと喉の奥で笑われてるのに気づいた。
もしかして俺、めちゃくちゃカッコ悪い?
肩を揺らして笑うのを唖然と見てた俺は、やっと笑いが収まったらしい目の前の人物が口元を抑えて「痛て」とちいさく呟いたところで我に帰った。
「ああ悪ぃ。俺相手に緊張しても得はないぜ?」
「いや、そういうことでも・・・」
「アンタ一年だろ?」
「あーうん」
「俺も同じ一年。これはセンパイ方に喧嘩売られたってとこ」
これは、というところで自分の頬をぺちんと拳で殴る真似をしてみせてくれた。
「え。どうして?」
「さぁ?なんか気に喰わなかったんだろ」
大したことなさげにそう言うとよいしょっと立ち上がった。
俺だったら、そんな理由で殴られたくないなぁ。とか思いつつ一緒に立ち上がった。
わー、やっぱデカい!
ゆうに20センチほど違う身長に、つられて立ち上がってしまったことを後悔した。
「まぁ俺も殴り返す分は殴り返したから、おあいこってとこだし」
そう言って、いつの間にかまた積もってしまっていた花びらに気づいて前髪をかきあげた。
「!」
うぅわ。ちょっとそれ反則だよ!?
真っ黒い前髪がかきあげられて見えた顔は思いのほか、というより想像以上に整っていて。
とてもこの間まで小学生をしていたとは思えない高い身長と低い声。
その2つだけでもずいぶんと自分と違う。
ていうか、俺がフツーなんだよね?だって、まだ12歳だよ?
ほへーっと見上げてたら、髪をかきあげたまま怪訝そうに見下ろされて。
「何?」
「えっ!?やーキミ、かっこいいなーと思って」
「・・・・・・は?」
「・・・・・・は!?」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
流れる沈黙が痛いです。
俺は直立不動のまま、えへらと笑ってみせた。
なんでこう思ったこと口に出しちゃうかなー俺って。いいかげん学習しないとねぇ。
でもさ。
そう本気で思ったんだよ?
入学式で周りにいた連中を見た時、正直がっかりしたもん。
せっかく山吹に入れて、これでもドキドキしてたんだけど。こうなんて言うの、ピン!とくる人間が見当たらなくて・・・面白みにかけるっていうのかな。
小学校出たばかりの人間にそんなモノを求めるほうが悪いのかもしれないけど。
新しい環境になったっていうのに今までとかわり映えのしない毎日ってつまんないじゃない?そんなこと思ってた時にこういう人と出会えて、嬉しかったのかもしれない。
自分の周りにいなかったタイプだし。見た目のことだけじゃなくって、ホントいいなーって思ったから。
「・・・あっははははは、は!」
唖然としたままで俺を見つめてた、その彼がいきなり笑い出した。
おなかを抱えて身体を前に折って笑うその状態はまさに大爆笑の図?
時々思い出したように口元や脇に手を当てて「痛て」と呟いてる。
「大丈夫?」と声をかけるのもなんだかマヌケな感じがして黙って待ってた。
「・・・・・・」
「ははは・・・はー、悪ぃ」
しばらく上目遣いに見上げてたら、やっと収まったのか目にたまった涙をこすりつつ「ごめん」とちいさく言った。
「うん、なんかツボに入っちゃった?」
「ああー久しぶりにこんなに笑った。面と向かってそんなこと言われたの初めてだわ」
「え。そう?」
「フツー男相手にそういうこと言うの考えられないだろ」
「? そうかなー?」
俺が首を傾げてるとくっくと咽喉の奥で笑ってる。
同性相手に「かっこいい」ていうのそんなにおかしいもん?
その時、校舎のほうから2時間目の終わりを告げるチャイムが聞こえてきた。
「あーそろそろ行かないとマズいねー」
「だな」
俺が校舎のほうを見ながら言うと、彼はまだ思い出すようにしてちょこっと笑いながら、鞄を取り上げた。
あ。行っちゃう?
このままわかれるのがもったいなくて。思い切って、名前訊いとこう。そう思った。
「ねぇ名前、なんていうの?」
「アンタ名前は?」
発した台詞が笑えるくらい被さった。
目があって、そしたら自然とふたりして笑ってしまった。
「俺はね、千石清純」
「東方雅美」
ひがしかた・まさみ。心の中でもう一度呟いて、笑った。
「うん、覚えた。これからヨロシクね」
「おーこっちこそな」
そう言って、にっと笑った東方はとてもオトコマエで。
何度目だかわからない、うわーっと見惚れてしまった。
ねぇホントに12歳なの?それって絶対反則だよ?なんてバカなことをまた考えてたら、ぬっと伸ばされた手に気づかなくて。
はらりと落ちてきた桜の花びらが視界を上から下へと落ちていくのを眺めて、東方が俺の頭につもっていたらしい花ビラを落としてくれたのだと気づいた。
自分のとは違う大きな手の感触。
「払ってもおんなじだな」
そう言うとうすく笑った。
花びらの舞う中、見えた笑顔。
頭を撫でられた時の手のひらの感触。
その時。
感じた『おもい』がなんなのか、わかったのはだいぶ後になってからのことだった。





「おい、千石」
名前を呼ばれて、眺めていた桜の木から視線を外した。
「東方」
「南がサボるなってさ」
「えーだって自習だよ?」
「南はマジメだからな」
「あはは。そうだねー」
あれから2度目の桜の季節。
今もいちばん近くにいてくれるのはあの時、出会った東方。
桜の木の下に立った俺のそばまで来ると腕を伸ばして髪につもった桜を払ってくれた。
オレンジ色の髪にうすい桜色の花びらはわかりづらいのか、くしゃくしゃっとかき回されて。
「わーちょっと止めてよ!これでも結構セットするのに時間かかるんだよ!?」
慌てて東方の手をどけようとした。
「払ってもおんなじだな」
「え?」
あの時のおんなじ台詞。
思わず見上げた東方の手がそのまま首の後ろに回りこんで引き寄せられた。
「東方?」
ぐいっと引っ張られたかと思うと東方の顔が被さって。
唇にあたたかい感触。
「!」
うわっと両腕を突っ張って東方から慌てて離れる。
クールな性格は出会った時から変わらないけれど、行動がますますクールになってるから俺としては慌てることも多くて。
「今更、照れることもないだろ」
にやりと笑った東方も相変わらずオトコマエだ。
「ったくもー東方カッコ良すぎ!」
真っ赤になって悔し紛れで喚くと、咽喉の奥で笑われて。
「誰かさんの自慢の彼氏だしな?」
「そゆこと自分で言うかなー?」
真っ赤っかになった俺はもう一度口づけられた。

桜の花びらが舞うたびに俺の幸せもだんだんとピンク色に染まっていくみたいだ。