50TITLE * MINI --- 3

お題はコチラから。





21 * ダッフルコート

「・・・・・・よしっ!」
玄関に置いてある姿見鏡を見て一声上げた。
そこに映る俺が着ているのはその年の誕生日にプレゼントとして買ってもらった白いダッフルコート。
「汚れたら目立つわよ?」という母親の言葉を押し切った。
うん、それはわかってるんだけどさ。
そう呟いた俺の表情に母親は一瞬目をぱちくりさせた後、ひとしきり笑ってレジへと進んでくれた。
その時の俺は、自分へのプレゼントを買ってくれるというのに全然余裕なんてなくて。
贈り物のことより、その先のことで頭がいっぱいだったから。
俺の誕生日。
東方が言ってくれた「おめでとう」の言葉とくしゃりと撫でてくれた大きな掌の温かさ。
プレゼントなんてなかったけれど俺には誰がくれたモノよりもそれが嬉しかった。
普段は見せない、優しい色をした瞳で俺を見るから。
気持ちが溢れて仕方がなくて。
伝えたいと思った。
俺が東方を想っている、この気持ちを。
そして選んだのはクリスマスイブ。
ハマり過ぎかなと思わないでもなかったけれど、うまくいきっこない恋だから。
泣ける日を考えると終業式のその日しかなくて。部活も休みになるその日しか。
今日はその当日。
もうすぐ東方と待ち合わせた時間になる。
「話したい事があるんだ」と切り出すと快諾してくれた。
学校が終わり、イブのその日に会ってくれるなんて、と内心浮かれてしまった。
うまくいきっこない恋だというのはわかってる。
でも、それを意味する言葉を口唇にのせる、その瞬間までは夢が見れるから。
もう一度、鏡を見ると嬉しそうで、泣きそうな、そんな複雑な顔をした自分がそこにいて。
パン!と音を立てて両頬を叩いた。
にっこりと鏡に向かって笑う。
よし、オッケ。
いつもの自分の顔に戻ったのを確認して靴を履いた。
ドアを閉める時、姿見に映った翻った白いダッフルコートの裾が目に焼きつく。
これはね、俺の勝負服。
アナタ色に染まりたい、そんな隠れた意味もあるんだけれど。
それ以上に。
真っ白い気持ちで東方に向かいたいから。
俺の全てを見て欲しいから。
受け取ってくれなくても構わない、ただ俺の気持ちを聞いてくれればそれでいいから。
「・・・・・・ねぇ東方、大好きなんだ」
ぽつりと呟いた声が空気に融けて。
俺は深呼吸をすると走り出したんだった。





22 * 英和辞書

「・・・・・・っ南!」
授業が終わった直後。まだチャイムが響いてるのにも関わらず、俺のいる教室に飛び込んできたのは千石。
めずらしく慌てまくった、その表情に。
俺は一瞬ぽかんとした後、派手に吹き出した。
「え、何?っていうか、その。あ・・・・・・!」
「落ち着けっての!」
何事だと訝しげな、クラスメイトたちからの視線の中。
まだ笑いながら千石の肩を叩くと手に持っていた辞書を千石の手に落とす。
慌てながらも危なげなく受け取った千石は、ほっと息をついた後ジト目で俺を見上げてきた。
「・・・・・・見たの?」
「あーまぁな?捲ってたらさ落ちて来たから何だろうと開いちゃったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
はぁーっと大きく息を吐いた千石は口唇を尖らせて何やらブツブツ言っている。
そう言いたくなる気持ちは俺もわかるから、笑ってゴメンと言うと小さく頷いてくれた。
その千石の腕の中、大事そうに抱えられているのは英和辞書。
俺が見てしまったのは千石と東方で遣り取りされた手紙。
手紙とは言っても授業中に回したらしいノートの切れ端に殴り書きされたっぽいモノだったけれど、本来なら人目につくことはない、いわゆる恋文というヤツだったから。
斜め読みしてしまった俺はすぐに内容に気がついて慌てて閉じたんだけれど。
やっぱ他人が見ていいモンじゃないよなぁ。
「ゴメンな?」
もう一度そう謝ると千石は俺の顔を見て笑った。
「そんな、南が泣きそうな顔しないでよ」
「・・・・・・泣かないっつーの」
「そ?って、俺こそゴメンね?」
「・・・・・・何が」
「うん?いやーこういうの見ちゃうとさ、南のが気を使うだろうなーって思うから」
まあなと肩を竦めて見せると千石も苦笑した。
元に戻された手紙は英和辞書の間に挟まれ、大事そうに千石の腕の中へと収まって。
「誰にもナイショね?」
照れたように笑った千石の顔は綺麗だった。





23 * 学校の屋上

山吹中の屋上は日頃、立ち入り禁止区域に指定されているんだけれど、そんな事お構いなしの人間が約1名いるおかげで済し崩し状態だったりする。
しかも表立っているのが「あの」亜久津だから先生たちも見て見ぬ振りで。
(まぁ亜久津が出入りしてるせいで他の一般生徒は近寄ろうともしないのでOKと言えばOKなのか)
「・・・・・・ちょ、やめろってば・・・・・・!」
俺の制止なんて何処吹く風といった顔で亜久津が笑う。
屋上の給水塔の影。
亜久津のサボりスポットと化しているそこに俺は仰向けに転がされて。
その上に圧し掛かってるのは言わずと知れた亜久津。
自習だった4時間目、眠気に勝てなかった俺は弁当を掴むと屋上へと登ってきたのだが。
亜久津もいるし暇を潰せるかなんて思った俺がバカだった。
寝てるらしい亜久津にそうっと近寄って顔を覗き込んだ瞬間、手首を掴まれて。
あ、とも声が出ないうちに形勢逆転。
顔の両脇に手をつかれ見下ろされるハメに陥った。
「やだって、亜久津っ!」
「あぁ?」
「・・・・・・っ」
耳の後ろを舐められて、肌がゾクリと粟立つ。
ホンの傍で聞こえる亜久津の低い声には艶っぽいモノが混ざり始めて、それすらも肌を刺激するからたまったものじゃない。
もう4時間目も終わってしまう。
そうなれば、いつもやって来る千石と東方も遅からず姿を現すだろうことは必至。
鍵なんて掛けられてない屋上のドアが開けば、丸見えのこの位置のこの状況は言い訳なんて出来る筈もなく。
俺が暴れる理由なんてわかっている筈なのに亜久津の手も指も止まらない。
「ホントに駄目だってっ!」
もう何が原因かはわからなくなった涙が視界を滲ませて。
押さえ込むようにして伸びてきた亜久津の手を振り払い、叫ぶように声を上げた俺に、当の亜久津は片眉をわずかに上げただけだった。
それがどうした、と言わんばかりに制服の裾から這い上がってくる冷たく細い指先の動きに翻弄されてしまう。
頭より先に身体へと覚えこまされた快楽の渦は容赦なくて。
あれだけ今のこの状態を悩ませていた千石や東方のことさえ意識の外に追い出されようとしている有様。
絡んできた舌の熱さに。
一瞬、意識が途切れた――その瞬間。
「「!」」
ピロリロと鳴り出したのは俺の携帯。
ポケットに突っ込んだ状態で、数秒鳴ると切れてしまったが着うたにしていたのは千石用の曲。
ちらりと亜久津を見やると舌打ちして少しだけ離れてくれた。
俺の性格上、気になる事があるとそういう最中でも気がそぞろになるらしく亜久津もそこらへんは妥協しているらしいのだ。
片方だけ空いた手で携帯を取り出し操作する。
ん?メール?
表示された『メール1件』の文字。
くだらない事じゃないだろうな、と亜久津の気配を横にメールボックスを開く。
そして飛び込んできた内容に俺は絶句するしかなくて。
横から覗き込んだ亜久津の口の端にうっすらと嫌な笑みが浮かび、俺は観念するしかなかった。
『お取り込み中(になりそう?)みたいだから俺たち昼は部室に行くよ。邪魔しないからごゆっくり!』
その後、美味しく(亜久津談)頂かれ。
昼からの授業全てをサボるはめになったのは言うまでもない。





24 * 煙草

あっくんが吸っているっていうのは最早、山吹の常識みたいになっているけれど。
明らかに同じ匂いをさせているのにもかかわらず先生達からのお咎めなしなのが東方だったりする。
何でもソツなくこなし、自身の力で何事も解決してしまう生徒会の会長でもある東方には先生方も文句のつけようがないらしい。
(まぁ言ったところでするりと交わされるのがわかっているということもあるかも知れない)
昼休みになれば口にしているのが日常で。
そんな東方とキスすれば俺にも匂いが移るのは必定。
しかも俺と(あっくんから移る、同じ理由で)南だけは吸ってないにもかかわらず先生たちからチクリと言われるのだから割に合わない。
そうは思うのだけれど。
「・・・・・・っふ、」
離れた口唇から浅ましく声が洩れる。
貪るように口付けても「もっと」と東方を感じたくなってしまい、満足できないのだからしょうがない。
伏せていた目を東方に上向けると軽く端にキスされて。
不満だと意思表示すると苦笑されてしまった。
「キスはいいんだけどな?」
「うん?」
「せっかく火つけた煙草が短くなるんだよ」
ほら、と煙草を挟んだ手を掲げられれば。
確かに火をつけはしたものの一度も口元へ触っていない煙草は半分以上も吸われることなく紫煙だけに変わっていて。
「それに」
ふと東方が咽喉で奥で笑う。
つられるように見上げた俺の耳元に口唇を寄せる。
「これ以上、匂いが移るとまた言われるぞ」
「そんなこと」
「?」
俺の言葉に動きを止めた東方の首へと手をかけた。
首を後ろを掴むようにして自分の方へ引き寄せると今度は俺からキスを仕掛ける。
1センチと離れていない距離。
互いの吐息に混ざるのは煙草の匂い。
「そんなこと。東方とキスできるんなら、望むところだよ」
笑って言った俺に東方ももう一度苦笑を浮かべた。
随分と短くなってしまった煙草は一度も吸われることなく、灰皿代わりの空き缶の中へと投げ込まれる。
少しだけ水を張った其処へと落ちた煙草がジュッと情けない音をたてて細く紫煙を立ち昇らせた。
煙草の熱は形を変えて。
俺と東方の間で燻り続ける。





25 * 教室

授業は好きじゃないけれど、教室そのものは結構好きだったりする。
例えば、朝。
東方の家に泊まらなかった場合、100%の確立(というか決定事項みたいなモン?)で先に来ているのは東方。
チャイムぎりぎりで飛び込む俺を本を手にした恰好で見詰めて来る。
ちいさく笑みを浮かべて「しょうがないな」という顔をしている東方のその表情は俺にだけ見せてくれる、言わば『身内』として扱ってくれる顔だから朝っぱらから俺はドキドキするはめになるのだ。
「・・・・・・遅いぞ、千石」
ふっと笑って、でも咎めるその一言だけは忘れないのだけれど。
バタバタと走ってくる俺に気配に先に気づいて、あからさまに待ちくたびれたといった、その表情が見れるのはその時間だけ。
反対に東方の家に泊まった場合、朝は一緒に登校するから教室に入るのも一緒なワケで。
「到着!」
踏み込んだ瞬間、俺の言葉で俺と東方は仲のいい『オトモダチ』な振りをする。
あんまりベタベタしても怒るでもなく呆れる訳でもない東方だから初めのうちは俺の態度に不思議そうだった。
もちろん俺だってベタベタしたくない訳じゃない。
むしろ「東方は俺のモンだ!」って言いふらしたいくらいなんだけれど。
俺が所謂『恋人』の、そういう態度をとると自然と(←ココ重要!)東方もそういう顔になっちゃうから。
だって、勿体無いじゃない?
東方の、その表情も雰囲気も俺だけが知ってればイイことなワケで。
他の人に見せるなんて地団駄踏みたくなるのは当然。
だから。
教室に入る前。人目を盗んで一瞬だけ触れ合う、その時が好き。
キスだったり、指を絡めるだけだったり、アイコンタクトするだけだったり。
その時々で様々なんだけど、その一瞬の時だけは東方の意識は俺だけに向くから、めちゃめちゃ幸せを感じてしまう。
『神聖な学び舎』には悪いんだけどさ!





26 * 捨て猫

「・・・・・・おまえら喧嘩したの?」
ちらりと肩越しに振り返った南がぽそっと訊いて来た。
隣を歩く俺だけに聞こえる声。
声量を憚るあたり答えはわかってそうだったが、あえて訊くぞということなんだろう。
「・・・・・・さぁ?」
たっぷりと間を置いてから答えると隣の南が、ひくりと口の端を強張らせて視線を逸らした。
そんな俺達の3メートルばかり後ろ。校舎に凭れかかるように蹲っていた人物の肩もピクンと跳ねたのがわかった。
視界の端に入ってるのを無視した形になっている俺の行動に南が気まずそうに「あ〜・・・」とか呟いて、意を決したように口を開いた。
「・・・・・・東方?」
「なんだ?」
「あの、さ?大抵の場合、アイツが何かやらかした結果だと思うんだけど」
「わかってるんなら口を出さないでくれると助かる」
「う・・・・・・や、でもアイツも反省してるみたいだし」
「反省してても、また繰り返すんであれば意味がないだろ?」
「あー・・・うん、まぁそうなんだけどさ」
取り付く島のない俺の返答に南が困ったように頭を掻く。
関係ない立場なのに悪いと思わない訳ではなかったがアイツが、千石が聞いているなら俺は態度を変えるつもりはなくて。
困ったように上目遣いで見上げてくる南に口の端で笑ってみせた。
「俺は、何度も繰り返すような馬鹿はいらないからな」
「・・・・・・・・・・・・東方」
南に見せた表情とは裏腹に低く、あえて冷たく聞こえるように、吐き捨てるような声音でそう口に出す。
俺越しに後ろを心配そうに見やっていた南が「あ」と声を漏らした。そして、つられるように聞こえてきたのは。
「・・・・・・千石、泣いちゃってるぞ?」
「・・・・・・・・・・・・」
ぼそぼそと囁いてきた南の声に紛れるようにして耳に届いてきたのは。
漏らさないように、と懸命に頑張っているらしい殺した嗚咽。
泣くくらいなら初めからしなきゃイイだけの事だとわかってる。
でもそれを言葉にするのに躊躇うくらいは、千石のバカに惚れているらしい。
ふ、と溜め息をつくと。
それが聞こえたのか、嗚咽が少しだけ大きくなった。
何を勘違いしたんだか。
やれやれと苦笑を漏らすと南の恨めしそうな視線が俺に向けられた。
そんな南に肩を竦めて見せると、その視線は心底嫌そうなモノに変わってしまった。
「・・・・・・あれ、ちゃんと拾って帰れよ」
「さぁどうするかな?」
「東方!」
「悪いと思ってるんなら、あっちから付いて来るべきなんじゃないのか?」
「・・・・・・おまえ、ホント根性悪だよな」
「誉めてもらって光栄だ」
「・・・・・・もういい。オレンジ色の猫、欲しがってるヤツなんて掃いて捨てるほどいるんだからな」
その南の台詞に目を眇めて見せると、びくりと肩を強張らせた。
地雷を踏んだのがわかったらしい。
しどろもどろにボソボソと何事かを呟く南の頭をくしゃりと撫でる。そのまま引き寄せて耳元で「わかってる」と囁いた。
俺だって自分からアイツを手放したい訳じゃない。
むしろ。
「千石、帰るぞ」
振り返って、そう言葉にして、手を差し出して。
パッと顔を上げた千石の瞳は涙で潤んでいて、目が合うと益々それは酷くなった。
安心したのか、殺していた嗚咽が泣声そのものに変わってしまった。
足を引き摺るようにして歩み寄ってきた千石の手が恐る恐る伸ばされて。
その手を掴むと自分の胸の中へと抱き込んだ。
「捨て猫、捕獲完了」
「・・・・・・ったく」
にやりと笑って南を見れば。
呆れた顔で俺と腕の中で、制服を皺がよりそうな力強さで握り締めている千石を見やって「しょうがねぇなー」と苦笑するだけで。
あながち『類友』っていう言葉も間違いじゃないらしいと笑えた。
気まぐれなオレンジ色の猫はいつ何時、気を変えるかもしれないから。
俺が必要だろう?とけしかけることは忘れない。
こっちだって、恋い焦がれてやっと自分の手にしたモノを、俺は手放す気なんて更々ないのだから。
千石の温かい涙を制服越しに感じて抱く腕に力をこめた。





27 * 綺麗な夕陽

テニス部に入部してから半年以上経った頃。
馬が合うのか合わないのか微妙なトコだけど、仲が良くなったのは南。そう遠くはない互いの家を行き来するようになったのもそんなに時間はかからなくて。
ある日、学校帰りに南んちまで、ずっと催促してたCDを借りに行くことになった。
帰る方向が途中まで同じの東方も、気付いたら一緒に帰ることが当たり前になってた。
入学式から3日経って知り合った東方はその頃から寡黙な感じで、喋らない訳じゃなかったけれど自分からアレコレ話を振ってくるタイプでもないから3人一緒にいても喋るのは俺と南がほとんど。
勿論、それが嫌なわけじゃなかった。
でも南との話が途切れて一瞬の間、感じる沈黙がなんだか妙に変なモノに感じられてしまうのも事実で。
のどに絡みつくような息苦しさに似た何かが俺の身体をさっと通り過ぎることがあった。
「数学のプリント、もう終わったのか?」
「あー明日までだっけ?あれって」
「てことはまだ終わってないのか。千石も?」
「う。いや、ほらさぁイロイロ忙しいんだよねー」
「あーそうですか」
「いや、おまえも人の事言えないだろ」
駅前のちょうど人が込みだす時間帯。
すれ違う人たちを上手く避けて、される他愛ない会話。
普段は互いに前を見てるから、相手の顔なんて見ることもないけれど。
ふと思い出したように口に出された東方の問いかけに思わず、東方を仰ぎ見た。
チビだった俺にしてみれば、その頃170センチ後半になっていた東方はとても大きく見えた。
近くにいても傍にはいないような、そんな感じを受け取っていて。普通の友達同士みたいな会話に思いがけず身近に感じてしまったことが信じられなかったんだと思う。
そんな俺に視線に気付いたのか、人込みの中、東方がふと振り返った。
すれ違う人波の中で視線があって。
東方は少しだけ瞠目した。でもそれはホンの一瞬で、OL風のお姉さんとすれ違った次の瞬間にはいつもの東方の顔。
「どうかしたか?」
「え。や、ううん・・・何でもないよ?」
「そうか?」
「うん」
意味のない会話なハズなのに、東方と思いがけず視線があったことにドギマギしてしまった俺は前に感じた息苦しさを思い出した。
正体のわからないソレに俺は何でもない振りをしながら、少しだけ俯いて東方の視線から外れた。
でも変な息苦しさは変わらなくて。
「あ」
思わず、といった風に洩れた東方の声に顔を上げる。
東方はもう俺を見てなくて、その視線は連なって見えるビルの向こうに沈もうとしてる大きな夕陽に向けられていた。
赤くと言うよりどちらかと言えば橙がかった、鮮やかな色をし、少しだけゆらゆらと見えるソレ。
「キレイだねぇ」
飲み込まれるようなその鮮やかさに、ぽつりと漏らすと東方が振り返った。
逆光ではっきりとは見えなかった筈なのに。
その時の東方の表情は今でも思い出せる。
「おまえの髪の色みたいだな」
「え」
「凄く、綺麗だ」
東方は話し掛けるでもなく囁くようにそう言うと、一度も見たことがない優しい色の表情でちいさく笑った。
言葉とは裏腹に、その視線が俺じゃなく太陽へとまた向かっていたから。
余計に。
言葉の意味が俺へとダイレクトに。
瞬間的に感じた頬の熱さが包み込むような橙色の太陽の色で紛れたのは良かったと思えた。
だって、これ。
持て余してた東方への俺の気持ちが何かというのがようやくわかったから。
尚更。
まだ見詰めつづけている東方に倣うように、色濃くなる橙色の世界に俺は視線を向けた。
そして。
あの綺麗な夕陽に飲み込まれたのが俺だけじゃなかったっていう事がわかったのはもう少し後の話。





28 * 不治の病

「なんかさー最近、熱っぽいんだよねー」
弁当を食べ終わった後のデザートと称して、クラスメイト達から貰ったという調理実習のクッキーを食べていた千石がふと思い出したように口を開いた。
口の中のものをお茶で飲み下して千石へと向く。
「何、風邪か?」
「うーん?どうだろうねぇ・・・咳とかは出ないんだけど」
「ああ?」
詳しく聞いてみれば。
咳も出なければ鼻水も出ない、悪寒がする訳でも頭痛がする訳でもないらしい。
「それにずっと熱っぽい訳でもないしねぇ」
「なんか違う病気とか?」
風邪には思えなくて、そう言うと千石は「南と一緒で風邪もあんまり引かないのに?」とあっけらかんと返された。
俺云々は横に置いとくにしても、それもそうだと頷くしかない。
その時。
綺麗にラッピングされたクッキーの袋に無造作に手を突っ込み、取り出そうとしてた千石がまた思い出したように「あ」と呟いた。
「んーとねぇ東方が傍にいると、なんかそういう感じになる事が多いかなぁ?」
「は?」
「ドキドキするって言うの?なんかこう『うわー』って舞い上がっちゃうような気持ちになるんだよね」
「・・・・・・・・・・・・へぇ」
「今まで東方みたいなヒトって自分の傍にいなかったから、そう思っちゃうのかなって考えてたんだけど。今よく考えてみたらさ、東方が近くにいると熱出した時みたくクラクラする事が多いかも?」
これってどういう事だと思う?
東方には言わない方が良くないよね?
なんて、何の気なしにクッキーを頬張りつつ、そう続ける千石の頬はうっすらと上気していて。
それが何を意味するのかって俺も面と向かって言える筈もなく。
むしろ、それは口に出してもいい事なのかさえも怪しくて。
口をモゴモゴさせていると千石が不思議そうに俺を見た。
「何、南。南もクッキー食べる?」
「・・・・・・いらねぇ」
「そーお?」
じゃあ上げないよーと笑った千石が「あ!」と声を上げた。
「東方、発見ー!」
2階の教室の窓越し。
階下に見えた東方を見つけた千石は嬉しそうに眼を輝かせて。
その微笑んだ横顔に俺はちいさく息を吐いた。
それって草津の湯でも治せないっていうヤツじゃねーの?
ブンブンと手を振って階下の東方へと名前を呼んだ千石の満面の、けれど少しはにかんだ横顔を見やりつつ俺も東方に手を上げた。





29 * さみしい

「・・・・・・おまえ、大丈夫?」
別に誰に憚らないといけない訳でもないけれど、小声でそう問いかけると千石が小さく頷くのが見えた。
窓の桟に頬杖をつき、校舎の三階から見える風景をぼんやりと眺めやってる千石のその様子では、返事を信用しろというのが無理な話っぽい。
「あんま大丈夫そうには見えねーけどな」
「・・・・・・そう?」
「ああ。つか、別にさ?俺の前とかで無理する必要ないんじゃねーの」
呆れた口調でそう言えば。
「・・・・・・なんだ、その心底驚いた顔は」
ポカンと「驚きました!」という表情を隠しもせず、まじまじと俺を見る千石。
何気にシツレイだよな、おまえ。
はぁとこれ見よがしに溜め息を吐いて見せてから、座ってた椅子を千石のほうへ引き摺るようにして移動する。
千石はその、普段ではありえない俺の行動と至近距離に不思議そうな顔になった。
「何、南」
「うん、だからさ。寂しいなら寂しいって言ってもいいんじゃねーの?」
「・・・・・・」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐ訳でもないんだし、その時の感情をムリに押し込めることもねーと思うんだけど」
「・・・・・・だって」
「だって?」
ちいさく口唇を噛んだ千石の色素の薄い瞳が揺らぐ。
いつもは笑ってるコイツがどれだけ気持ちを殺してるのかがわかる、その行動にもう一度溜め息を吐く。
ポケットに入れてた手を出し、千石へと伸ばす。
柔らかいオレンジ色の髪の感触に感じつつ、千石の頭を自分の胸へと引き寄せた。
「・・・・・・だって」
「うん?」
「言っても変わんないじゃない。いくら寂しくても、それを口に出しても東方がまだ帰ってくる日じゃないし・・・そんなの、言葉にするだけ余計に寂しくなるじゃない」
震える声と空気。
泣くのを我慢してる千石の様子に、苦笑を浮かべた。
ったく、東方。おまえのこと・・・マジで恨みそうだよ。
「じゃあイイ子で待ってた千石にご褒美をやるよ」
「・・・南、キモいよ」
「うるせ。いいのか〜?俺、東方から伝言預かってんだけど」
言った瞬間、千石は弾けるように顔を上げた。
揺らいだ瞳はそのまま。
けれど、先程とは違う揺らめきに「落ち着けよ」と肩を叩く。
「南!」
「はいはい。そんな興奮すんなよ・・・『寂しくなったら言って来い』それだけ」
「それだけ?」
「そ。その場ですぐ、とは言う訳にはいかないけど次の日には必ず帰るからってさ」
大きく大きく深呼吸する千石。
その様子に苦笑しつつも頷いてみせた。
そう、色んな意味で酷い男ではあるけれど。
それだけに言ったことは覆さない、有言実行をそのまま表すあの男の言葉は絶対だから。
しかも千石だけにはひどく甘い、我がダブルスパートナー。
伝言を受けた時の対する東方の顔は嬉しそうというか楽しそうで、待ってるんだということを匂わせていた。
「・・・ったく、馬鹿らしー」
「だよねぇ!それだったら初めから連絡してくるなとか言わなけりゃいーのにっ!」
我慢の限界に来ていたせいか、ようやく落ち着いたらしい千石の口から出るのは文句ばかり。
けれど、その顔は嬉しそうに笑ってたりするから。
「俺が言ったのはそういう意味じゃないんだけど」
呟きは口の中で消えていった。





30 * クリスマスイブ

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