アナタの知らない世界


部活を終えた後、跡部と部長引継ぎの打ち合わせをしていた日吉が部室へと戻ってくるとそこにはまだ皆残っていた。
ドアを開ける前から中の騒々しさが伝わって来てたくらい、あれやこれやと話が盛り上がっているようで。
跡部共々あまりそういう騒ぎに入れない(というか入る必要性が感じられない)日吉にはなんだか居心地が悪い。
ドアを開けて固まった日吉の後ろから跡部が中を覗きこんで、溜め息をついた。
「とっとと入れ、日吉」
「あ、ハイ」
後ろからぼそりと命令口調で言われた日吉は我に返って部室の中へと足を踏み入れた。
途端にぴたりと止む喧騒。
「?」
びくりと足を止めた日吉と怪訝そうに眉を顰めた跡部。
「・・・・・・なんだ」
「あ。いやぁなんでもあらへんよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
はっきりきっぱりと答えた忍足に胡散臭そうな視線を向けた跡部だったが息をもう一度つくと関係を持ちたくないという風に自分のロッカーへと向かった。
すれ違い様に背中を叩かれ、日吉も跡部を見習い、我関せずの態で自分もロッカーへと進む。
開けたロッカーに汗を掻いたシャツを脱ぎ、放り込む。
いつもはきちんとたたむのだが、今日はとにかく気が急いた。
ハンガーにかけておいた制服に手を伸ばしたところで隣のロッカーを見やった。
「・・・・・・何」
「えっいや、その・・・・・・何でもない、よ?」
「・・・・・・・・・・・・」
似たようなやり取りをついさっき見たな。
今度は鳳と自分だけど、と忍足と違い挙動不審っぷり全開なチームメイトを横目で見やって溜め息をつく。
ちんたらやるのは性分じゃない。
素肌にシャツを羽織った状態で鳳のほうへ身体を向けると、ほんの数年前までは大して目線も違わなかったはずの随分と背の伸びた幼馴染みを見上げた。
「え、何・・・日吉」
「さっきから何なんだ」
言いたいことがあるんならはっきりと言え。
じっと見上げてそう言うと鳳が気まずそうに視線をそらす。
目線の高さに差ができるようになって変わった事がもうひとつ。
それがこうして目を逸らされること。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
黙って見詰める日吉と鳳に他のレギュラー陣も視線を向けた。
ざわついた空気と興味津々な視線に日吉はくっと下を向いた。
視線が逸れたことに気づいた鳳がはっと日吉を見る。
「・・・・・・もう、いい」
「日吉!」
吐き捨てるような日吉の呟きに鳳が詰め寄る。
「なんだよ、訊いても答えないはおまえだろーが」
「いや、そうじゃないんだって」
「もういいって言ってるだろっ!?」
腕を掴まれた日吉が喚くようにそう言うと腕を振り払った。
けれど背と一緒で鳳の大きな手は外れない。
二の腕をぶんぶんと振り回すがしっかりと握りこまれたそこはびくともしない。
身長が違うとはいえ同じ年の、しかも幼い頃から知っている鳳との差に苛立つ。
「離せっ」
鋭く叫んだ日吉の勢いに当てられたように腕を離した鳳がよろめいた。
その拍子にガタンッとロッカーに背中をぶつけた鳳のポケットから何かが床に落ちて、カシャンとちいさな音を立てた。
その音にはっとなったのは日吉と鳳、二人共。
床を滑り、日吉の足元まで転がったそれを日吉が拾い上げた。
「・・・・・・携帯?」
「あっそれ、俺の!」
いやに慌てた様子で手を差し出した鳳を怪訝そうに横目で見やった日吉が折りたたみ式の携帯を開いた。
別に他意があった訳じゃない。
ただ床に落ちた衝撃で壊れたんじゃないかと心配した上での行為だった。
「見た目にはどこも異常はなさそう、だな・・・・・・?」
開いた画面部分にも亀裂などは見えなくて、ほっとした様子でそう告げたその時。
「あ」
画面部分に見知ったものを目にしたような気がして閉じかけた携帯を開こうとしたが寸でのところで鳳に取り上げられた。
待ち受けになっていたのはある人物。
それも日吉が一番よく知っている人間。
けれど、何故その人間が鳳の携帯の待ち受けにいるのかがわからない。
日吉が携帯を追うように動かした視線の先にいたのは、真っ赤な顔をして高々と件の携帯を掲げた鳳だった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・鳳?」
「・・・・・・・・・・・・何」
互いを見詰めたままの2人はいつの間にか部室がしんとしてることに気づかない。
先程までの興味津々の視線は幾分同情したものに変わっていた。
緊張状態の日吉と鳳、それを「お兄ちゃん」然の態で遠巻きに見てるのは氷帝レギュラー。
そして、ひとり蚊帳の外だった跡部は部室の状態をじいっと見やって生来の勘の良さを発揮する。
「ああ」と納得した跡部は肩眉をあげて騒動の行方を見守った。
そんな空気に気づかない日吉が一歩進む。
と、鳳が一歩後退する。
「・・・・・・・・・・・・それ」
「・・・・・・・・・・・・」
じりじりと詰め寄ってくる日吉に、冷や汗を流しつつ泣きそうになりながらも携帯だけはぎゅっと握りしめた鳳。
「それ」と指差された携帯にちらりと視線を向けた鳳はそろそろと背中に隠した。
が、日吉が見てる前での行動だ。
ふぅと息を吐いた日吉がもう一歩詰め寄る。
「・・・・・・・・・・・・それって、もしかして」
「・・・・・・・・・・・・」
目の前まで近づいた日吉に見詰められた鳳は傍目にもわかるくらい、だらだらと汗を流していた。顔色が悪くなっているのも気のせいには思えない。
目を隠す前髪が日吉の動きにあわせて、さらりと揺れた。
流れた髪の隙間から日吉の瞳が鳳だけを見る。
目があって、至近距離で見詰め合うこと数秒。
「・・・・・・・・・・・・鳳?」
首をかすかに傾げた日吉が鳳のシャツを掴んだ、その瞬間。
ぼっとまるで火がついたように顔を真っ赤にさせた鳳は涙目になって自分のシャツを掴んだ日吉の手を振り払うように身体を起こした。
腹筋を使い、バネのように上体を起こした鳳はそのまま自分のバッグを掴むと部室から走って出て行った。
ガチャン!と大きな音とともに部室の扉が閉まるのを唖然として見たのは日吉は勿論、跡部以下の氷帝レギュラー陣。
「・・・・・・・・・・・・」
しばらく閉まった扉を見ていた日吉だったが何とも言えない空気に、珍しく困り果てた表情で部室を見回した。
「・・・・・・・・・・・・あの」
アレって『俺』ですよね?そう訊こうとした時。
ドタドタと騒がしくなったと思ったら、ガン!と派手に扉にぶつかる音が響いて。
細く開いた扉の向こうから先程脱兎のごとく走り去ったはずの鳳が「・・・・・・お疲れ様でした」とちいさな声で挨拶をしてきた。
どうやら途中で何も言わず帰ったことを思い出したらしい。
わざわざ引き返してきたのが可笑しかったが笑える人間はいなかった。
かろうじて扉の一番近くにいた宍戸が「ああ」とマヌケな間で返事を返しただけで。
俯いたままの鳳の表情は窺えないが見えた耳が真っ赤っかになっていて、事の真相を知るひとりでもある宍戸はそのガチガチに固まっている後輩に苦笑をもらした。
宍戸の苦笑を見て、つられるように鳳もちいさく笑う。
「・・・・・・先に失礼します」
ぽそっと呟くと扉は閉まってしまった。
全員が今更な挨拶だろうというツッコミをしたかったが、扉が閉まったのを見た日吉が慌てて身繕いをするのをみて、それどころじゃなくなった。
「日吉?」
「・・・・・・・・・・・・鳳、追いかけます」
ちいさかったがはっきりと告げた日吉に部室は「おお!」という雰囲気になった。
報われるかどうかなんて、さっぱり分からないが鳳を気にかけたのは良い兆候かもしれない。
思わずドキドキしてしまった先輩連中を見回した日吉が口を開いた。
「さっきのアレ、何なんのか訊いてきます」
意味わかってなかいのか!
部室の空気が一気に砕ける。
微妙な空気になってしまったが日吉は気づかないらしい。
「じゃあ」と先程の鳳と同じ挨拶を繰り返した日吉は先輩連中の生温かい視線に送られ、部室から出て行った。
「あー何つぅかさ?」
岳人が気まずそうに口を開く。
「鳳も頑張らないとな!」
ヤケクソ気味にそう言うと隣のロッカーの忍足の背中を意味もなく叩いた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・侑士?」
黙りこんだ忍足に痛かったのだろうかと岳人が問いかけた。
ふむと何やら考え込んでいたらしい忍足は岳人の視線にも気づかず、顔を上げるとポンと閃いたように手を打った。
「・・・・・・・・・・・・侑士?」
何となく嫌な予感にもう一度問いかけた。
「ほら、あれや」
「は?」
どことなく目を輝かせて忍足が岳人以下部室に残っていたチームメイトたちを見渡す。
「なんや年頃の娘を持った父親の気分やなー」
「・・・・・・・・・・・・」
「大事な娘取られるんは寂しいんやけど、笑った顔も見てみたいしな?」
「・・・・・・侑士」
「・・・・・・忍足」
「あーでも鳳もな?アイツの気持ちもわからんではないし、悩むとこやわ」
「・・・・・・・・・・・・」
はぁーと大きな溜め息をついた忍足を見て、溜め息をつきたいのはコッチだ!とげんなりした空気が流れた。
そして気づく。
あの日吉を一番可愛がっていたのは紛れもなく忍足だということに。

「・・・・・・天然師弟・・・・・・」

誰ともなく呟いた台詞が空気に溶けた。