太陽の約束

ここ何日かの事なんだけれど、妙にジャッカルから違和感を感じる。
大きな声で「ココ!」と言える程のものではないけれど、ふとした一瞬に「あれ?」と思ってしまうような。
なんだか胸がざわついて、やっぱり気になるから注意して見ていた。
俺のじっと見ている視線に気づいたのか、ジャッカルはいつもと変わらない素振りでテニスコートに立つ。
ベンチに腰掛け柳生と打ち合う様子を眺めていたら隣に人の気配がして。膝の上に頬杖をついていた俺は顔を上げた。
「相変わらず、丸井先輩ってジャッカル先輩のこと大好きっスねぇ」
「うっるさいよ赤也。おまえには言われたくねーし」
名前までは知らないが何処ぞの誰かさんにベタ惚れしてるのはおまえだって一緒じゃねーか。
ジャッカルの事が気にかかっている俺は八つ当たりするみたいに赤也へと言葉を紡ぐ。
そんな俺の様子に赤也は苦笑して空いていた隣へと腰を下ろした。
「なんか機嫌悪いっスか?」
「・・・・・・別に」
「そーっスか?なんか眉間に皺よってるし、こう難しい顔になってるっスけど」
「・・・・・・ふーん」
「いや。ふーん、て。俺てっきりご機嫌だろうからと思ってからかいに来たのに」
「はぁ?なんで俺が」
ジャッカルに向けていた視線を赤也に向けると「あれー?」とか言いながら頭を掻いてる最中で。
機嫌なんて意味もわからずに降下中だってのに。
今の俺のどこにそんな様子が窺えるって言うんだ。
じっと見てると赤也は気まずそうに視線を逸らした。
「なんで俺が?そう思った根拠は何だよ?」
「えー・・・いや、その」
「はっきり言う!」
ごにょごにょと口の中で言葉を探す赤也の様子がいつものコイツらしくなくて気味が悪かった。
思わず大声を出すとビクンと肩を震わせた。
「ジャッカル先輩の首に、指輪が・・・・・・」
「・・・・・・指輪はな、指にするから指輪なんだぞ?わかってる?」
「わかってますよ!違っ、そうじゃなくてジャッカル先輩のペンダントトップに指輪が嵌めてあって!」
「・・・・・・へぇ?」
「大事そうにしてたから、俺はてっきり」
ちらりと赤也の視線が俺を見て、コートにいるジャッカルへと向いた。
てっきり、俺に渡すもんだって?
目を眇めてみせると赤也は力なくハハッと笑った。
そんな赤也に向かって、上向きにした人差し指でちょいちょいと呼ぶ。
「なんスか」と赤也が素直に寄って来た。その首にがばっと腕を回す。
「あの指輪が俺のトコに来ることなんてねーよ」
「え?」
「あれは・・・おまえが見たって言うのは赤い、わりと大きなルビーがついたヤツだろ?」
「えーうん、そうっスよ」
「だろ?あれはなー代々ジャッカルの家に伝わってるとかいう物なんだと。じいちゃんからばあちゃんに、ばあちゃんから息子に。あ、息子っていうのはジャッカルの親父さんな?で、親父さんからお袋さんにって、その前からずーっと続いてる指輪」
「へーそうなんスか?」
「らしいよ。だから俺のトコに来るなんてことはありえない」
「?何でですか?大事な人に渡すモンってことでしょ?」
「・・・・・・だから、だよ」
きょとんと心底不思議そうな顔をして赤也が俺を見る。
身体を離した俺は苦笑して、肩を竦めてみせた。
視界を動くジャッカルの姿を遠くに見て、ああ成る程な、なんて思った。ここ数日ジャッカルに感じていた違和感の正体がわかったから。
「俺は男だろう?」
「俺も男っすよ?」
「ちっげーよ馬鹿。あの指輪はな、生涯の伴侶に渡されるモンなの!結婚して子供たちに囲まれて幸せな一生を共に過ごしましょうっていうお守りを兼ねた約束の証なんだってさ」
「・・・・・・それは」
「だから。いくらジャッカルと想い合ってたって、そんな事叶えるのは俺には絶対無理な話じゃねーか・・・・・・だから、俺には関係のない物だ」
言い切ると赤也が目を逸らした。
「・・・・・・なんスか、それ」
「おまえが泣くことねーだろ。つか泣かれたら益々俺の立場って微妙だと思わされるじゃねーか」
「・・・・・・すんません」
苦笑して見やれば、赤也はぐっと涙が零れるのを堪えていて。
思わず赤也の頭を撫でてやった。
優しい動きではなかったけれど気持ちを汲んでくれたのか、赤也も小さく笑みを浮かべてくれた。
ジャッカルに感じた違和感。
それはジャッカルの逡巡がもたらしたものだとわかって、笑ってしまった。
そういや着替える時もなんだかこそこそしてたような気がして益々。
指輪の話は以前、ジャッカルの家に遊びに行った時に聞いたことがあって知っていた。
ぞんざいに扱われている訳ではないようだったけれど鍵や携帯などが置かれたチェストの上に一緒に置いてあって「無用心じゃないか」と言ったことがあったのだ。
元々は丸い水晶玉みたいな形をしていたらしいが着けるのは女性が多いということで指輪に作り直したという。
そんな理由から所有者は装飾品というより元からのお守りとして扱ってるのだと言っていた。
その時は「ふーん」と聞き流している振りをしたけれど。
大事そうに指輪を見詰めるジャッカルの様子に声を無くしたのも本当で。
だって、わかっていた。
「大切な人が出来たらアナタの手から渡しなさい」と言われたというジャッカル。
それは俺じゃないから。
ジャッカルの好きな人にはなれても生涯を共にする事はできないから。
指輪が欲しいなんて一言も言ったことなんてないのに。
俺に渡せないことを悩んでるなら・・・・・・馬鹿だよ、ジャッカル。
俺はわかってるから。
「・・・・・・丸井先輩はそれでかまわないんっすか?」
「かまうも何もなぁ?」
「だって。けど、それじゃあ・・・―――」
赤也がぐっと拳を握る。
ぎりぎりと力が入ってるのが見えて、慌てて手を伸ばした。
「っ馬鹿!おまえ何やって――」
「っだって、だって・・・・・・!」
「だって、じゃねーだろ!?ほら手離せっ!」
握られた拳に手を伸ばすと掌に食い込んだ指先を1本1本外していく。
爪の先で抉ったのか少しだけ血が滲んでいて、ふぅっと息を吐いた。
「・・・俺はさ先の事なんて考えてねーから。将来どうなるかなんてわかんねーじゃん、だからジャッカルとの事も未知数なんだ」
「丸井先輩?」
「ずっと一緒にいれるかもしんないしさ、明後日には別れてるかもしんねーじゃん?そんな来るか来ないか、わかんねー明日のために今の時間を使いたくねーんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「今ジャッカルといれれば俺はそれでいーんだ」
笑って言うと赤也はむぅっと黙ってしまった。
「・・・おまえは好きなヤツ、大事だと思う相手のこと大切にしてやれよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「俺たちに自分を重ねてないでさ。自分たちの形は自分たちで作れ」
「・・・・・・っス」
頷いた赤也がそれでも納得できないといった顔で俺を見た。
「でも本当にそれでいいんスか?」
「言っただろ?今ジャッカルといれれば俺はそれでいーんだ」
「・・・・・・俺の気持ちは関係なしかよ」
え?
ビクンと身体が震えた。
いつもとは違う、低い低い声。赤也との会話に突然入り込んだ声の持ち主に気づいて、はっと身体を硬くした。
「俺の気持ちなんて関係なしか?」
「・・・・・・ジャッカル・・・・・・」
赤也のと話に夢中になってたのか全然気がつかなかった。
いつの間にかベンチに近寄って来ていたジャッカルが剣呑そうに目を眇め、俺を見ていた。
その肩に置かれたラケットがトントンとリズムを刻むのを遠くに聞いた。
訊かれてマズいなんてことはない。
その筈なのに、ジャッカルと視線を合わすのが怖かった。
「・・・・・・ブン太借りるぞ」
「え。ちょっとジャッカル先輩っ!?」
ラケットをベンチから腰を浮かしかけた赤也に放ると俺の腕を掴んで。
引き摺られるようにジャッカルの後を追わされた。
途中、赤也以外のレギュラーメンバーたちの怪訝そうな視線と目があったが俺も何も言えなくて。
背中からジャッカルを窺ったけれど、怒っているようにしか見えなくて口唇を噛んだ。
俺は何もマズいことはしてない。
ジャッカルが怒る理由がわからない。
そうして2人して無言のまま。しばらく歩いて突然腕を放された。
ジャッカルを見るとむすっと口を引き結んでいる。
「・・・・・・何なんだよ」
「それはこっちの台詞だ!」
沈黙に耐え切れなくて口を開いたのに、言い終わる前にジャッカルは遮るように叫んだ。
大声にびくりとした俺を見て、はっとしたようにジャッカルが息を飲む。
また流れる沈黙。
ふぅと息をつくとジャッカルが足を進めてきた。
「・・・・・・ブン太」
「・・・・・・何だよ」
「何も言わないでこれ貰ってくれ」
「・・・・・・え」
目を瞠った。
そして思わず一歩後退る。
「・・・・・・なんで」
チャリっと小さな金属音。褐色の肌に映える細いシルバーの鎖がテニスウェアの襟ぐりから引きずり出されて。
慣れた動きでトップにつけられていた指輪を外すと俺へと放り投げたのだ。
綺麗な放物線を描いて俺の手元へ。
思わず掌に受け取った俺は呆然とそれへと視線を落とした。
何ていうカットかなんて知らない、でも綺麗な形のルビーが嵌めこまれた指輪。
握りしめることなんて出来ない。
震える手に舌打ちして、ジャッカルへと差し出した。
「受け取れるワケねーだろっ!?」
「・・・・・・なんで?」
「なんでって!おまえが話してくれたんじゃねーか!」
「ああ、言ったさ。だからおまえにやるんだ」
「訳わかんねーよ。俺はこれを受け取る資格なんてねーだろーが!」
「・・・・・・なんで?」
「・・・・・・・・・・・・もう、いい」
差し出した指輪を受け取る気配も話が進む気配もないジャッカルに痺れを切らして、歩を進めるとジャッカルへと近づいた。
手を出そうともしないジャッカルの態度にかっとしてしまって、持っていた指輪をジャッカルの胸に押しつけた。
「俺はこんなの貰えねーよ」
やっぱり視線は合わせられなくて。言うだけ言って踵を返そうとした。
と、また腕を掴まえられて。
近場の木の幹へと押し付けられた。
ドンと結構ないい音がしたのに他人事みたいだった。痛みが走った背中よりもずっと痛いところがあったから。
「なんでだ」
「・・・・・・それを俺の口から聞きたいのかよ!?」
「俺はちゃんと指輪の意味話したよな?」
「ああ聞いたよ!」
「なら受け取ってくれ。俺はおまえに貰ってほしい」
「・・・・・・なんで」
俺はどうしたって男で。
結婚も出来なけりゃ子供なんて笑い話にもなりゃしないのに。
将来も決められないこの年齢で、どうしろっていうんだ。
「確かにそういう話はしたけど。ただそれは今までの話だろう?」
「・・・・・・えぇ?」
「元々これはお守りだったんだ。大事な相手を自分に代わって守ってくれるよう渡していただけで・・・形が形だからそういう意味も加わったかも知れないけど、俺は」
ジャッカルがそこで大きく息を吐いた。
少し屈むようにして腰を落としたおかげで目線の高さが一緒になった。
両手はジャッカルのものによって幹へと貼り付けられているから動けない俺はジャッカルの視線を真正面から受けることになった。
「生涯の伴侶になるつもりでこれをおまえに受け取って欲しいんだ」
そう言うとジャッカルは静かな眼をして俺の返事を待っている風にじっと見詰めてきた。
俺の頭の中は真っ白で。
かなり日差しも強いはずだったけど木陰で良かったなーとか全然違うことを思った。
遠くに聞こえる野球部や陸上部の声。頭上からは葉のさわさわとした葉擦れの音。
俺を見詰めたままのジャッカルの視線と目があって、しばらく見詰め合った。
ふいに胸のあたりが熱くなって、つられるように目頭も。
「あ」と思う暇もなく、勝手にぽろぽろと流れ出したのは涙。
滲んだ視界の向こうに驚いた顔をしたジャッカルが見えた。
「・・・・・・そんなに嫌なのか」
ぽつんと聞こえてきた言葉。
「馬鹿!その反対だっつの!!」
思わず足が出た。
臑のあたりに蹴りが入ったはずなのにジャッカルはぽかんとした顔で俺を見てて。
相変わらず俺は涙を流したまま。両手を抑えられていては涙を拭うことも出来ない。
「・・・・・・え。マジ?」
「うんって言ってるだろーっ!?」
口を開けたまま俺を見詰めるジャッカルとそんなジャッカルを涙を零しながらも睨みつけてる俺。
ふとジャッカルの頭が傾いだかと思ったら次の瞬間には、すぐそばにジャッカルの顔があった。
口唇に温かい感触。
キスされてるんだとわかったら、また胸のあたりが熱くなって涙が零れた。
目を閉じると次から次へと溢れて。
口唇から温かさが引いたと思ったら目許にそれが移った。
それから額やこめかみ、耳へと移っていく。
くすぐったくなって目を開けると嬉しそうに笑ったジャッカルから鼻先へキスされて。
「ったく。どうやって渡そうかって人がずっと悩んでたのに」
「え」
「なんか気づいたみたいだったから早く言おうって機会窺ってたら赤也とあんな事話してるし」
「・・・・・・ごめん」
「これから先も一緒にいてくれって言うつもりなのに肝心のおまえが『今ジャッカルといれれば俺はそれでいーんだ』とか言ってて、俺がどんな気持ちになったかわかるか?」
「・・・・・・ごめんって。だって俺――」
「ああ。おまえの気持ちもわかってるよ。逆の立場だったら俺だって悩むだろうしな・・・自分のことに精一杯でおまえの気持ちまで考えてやれなかった。俺こそごめんな?」
もう俺としては目が溶けるんじゃないかって言うくらい涙を流すだけだ。
少し困ったようにジャッカルがその涙を吸い取っていく。
段々と落ち着いてきた俺を窺っていたジャッカルがそろりと木の幹に押さえつけていた手を離した。
目を開いた俺の前で、その場に片膝をついたジャッカルがゆっくりと俺の手を取った。
視線が絡む。
「・・・・・・俺とこれからも一緒にいてくれるか?」
「・・・・・・うん」
こくりと頷くとジャッカルはこれ以上ないっていうくらいの嬉しそうな幸せそうな笑顔で俺を見上げた。
その拍子に先程つき返したあの指輪にきらりと光って。
コツンと額を当てると俺も笑顔を返した。
「ジャッカルがその指輪、俺の手に嵌めてよ」

俺の手にはやっぱり女物の指輪は小さくて、薬指には嵌らなかったけれど。
幹に背中を預け、木漏れ日に翳した俺の手の小指できらりとルビーが嵌めこまれた指輪が煌めいた。
「おまえと初めて会った時、頭にこの指輪が浮かんだんだ。太陽の色をしたルビーはおまえに合ってるよ」
これから生涯を共にする太陽の下での約束だからね。
二人だけの誓いの言葉を胸に、木漏れ日の中キスを交わした。