新 し い 世 界

最近、赤也は人間が変わったようで。
今までの見知った「切原赤也」という男は棘の面をもつ多角形な感じだったのだけれど、ここ最近は本当に丸くなったような気がするのだ。
もちろん棘が全くなくなった訳ではない。
ただ常に人目に晒していたそれが時折引っ込む、そんな感じで。
笑う表情も人を馬鹿にしたものから優しげなものに変わった様は何とも言えないモノを感じさせてくれたほど。
「うん。じゃあ待ってるから」
携帯に向かって囁かれる言葉は弾んでいる。
目の前にはいない、その相手がホンのすぐそばにいるような顔で嬉しそうに口元に笑みを浮かべて。
逸る気持ちを表しているかのようにパタンパタンとロッカーの扉を開け閉めしてる赤也は部室中の視線を集めていることにも気づかない。
「駅からまっすぐだからね。デッカイ案内板とかあるからすぐわかるからっ・・・て、え?知ってる?あぁだよね、来たことあるんだっけ」
ふにゃりと笑う。
仲がいいと言える、今、部室の中にいる人間にさえあまり見せない笑顔。
心の底から気を許した人にだけ見せる、その笑顔。
「うん。じゃあ後でね、福士くん」
その言葉を最後にピッと通話が切れた。
もう音を紡がない携帯をじっと見やったまま、もう一度ふにゃりと笑みをこぼした赤也は幸せそうで。
大事そうにロッカーに携帯を片付けると、代わりにラケットを取り出した。
グリップを両手で持つとガットの部分に自分の額を押し付け、目を閉じると周りの人間には聞き取れない言葉が口の中で紡がれる。
それは祈っているようにも見えて、赤也のいるその場所だけ神聖な空気を感じた。
「福士、こっちに来んのか?」
「そうっス」
目が開いた瞬間を見計らったかのようにブン太が訊くと赤也が笑みを浮かべて頷く。
携帯で話していた時とは違う、どこか挑戦的な雰囲気を持つ笑顔。
目に力があった。試合時に見せるような相手を屈服させる力強い瞳。
「・・・・・・嬉しそうだなー」
ブン太の呆れたような、独り言みたいな呟き。
その言葉に一瞬きょとんとした赤也だったが、すぐさまその顔に笑みが広がった。
持っていたラケットでトントンと肩を叩きながら、にやりと笑ってみせる。
「そりゃそうっスよ。わざわざ俺んとこまで会いに来てくれるんすよ?」
嬉しいに決まってるじゃないっスか。
胸を張るかのごとく言い切った赤也にブン太を始めとして俺も含め、部室にいたレギュラー全員が苦笑するはめになった。
「オマエも変わったなー」
「何がっスか」
「いやーほら、オマエのこれまでの相手って年上美人系のおねーさま達ばっかだったじゃねーか」
「それが?」
「なのにオマエは誰が来ても面倒くせー顔してて」
「いや実際、ウザかったっすけどね」
「はっきり言い過ぎー。つか、そうやって相手に何もかんも全部して貰うだけだったオマエがそこまで自分から動くっていうか行動したり態度に出すのって初めてじゃねーの?」
少しだけ首を傾げるようにして訊いたブン太を見やって、赤也はくすくす笑い出した。
「何が可笑しいんだよ」
「だって『なんで』とかないでしょ?」
「ああ?」
訝しげに問い返すブン太を真正面に、持っていたラケットを包む込むように両手で抱きかかえた赤也がふにゃりと相好を崩す。
まるで、『その人』がそこにいるかのように。
笑みを浮かべて。
後ろから自分の腕の中へ抱き締めるように。
優しい、愛おしそうな表情で。
「あの人は、福士くんは俺が初めて『好き』になった人っスよ?あの人を繋ぎ止めておけるんなら俺は何でもする」
赤也が神に愛を誓うことなんてないだろうなと思ってた。
心を許せる仲間はいても、隣に立つ人間なんて必要としていなかった。
孤独の意味を知っている俺様なヤツだったから。
けれど。
赤也が言う『あの人』と出会ってから、赤也は変わった。
「俺はあの人しかいらないんス」
こんなこと言うヤツじゃあなかった。
誰かの台詞に嘲笑うことはあっても自分がその台詞を口にするなんて、ココにいる人間だって夢にも思いもしなかったくらい。
そんな台詞を嬉しそうに言うなんて誰が信じる?
いっこ下のそんな赤也を俺たちは可愛がってた。その俺たちがそう思うくらいなのだから。
この変わり様はある意味、キセキだと誰かが言ったのもわかる気がした。
「・・・・・・初恋、かよ」
「最初で」
「?」
「最後の『恋』っスよ」
腕の中のラケットに『あの人』を重ねて、大事そうに抱き締めた赤也が目を伏せて囁いた。
空気に溶けた言葉とは裏腹に赤也の顔に浮かんでいるのは嬉しそうな、幸せそうな揺らぐことのない湖面みたいな静かな微笑み。
「俺はあの人に出会えて良かったと思ってる。あの人と会って、俺は全然違う世界にいるような感じなんです。もちろん今までの事が無駄だとは思わないけど、一段上に昇ったようなそんな感じ」
「・・・・・・上に昇ったら視界が開けたか」
「ああ、そうっスねー。今までより見えるところが広がった気分っス」
柳の問いかけに少しだけ考えて頷く。
その表情は晴々としていて口だけでないと言うのが伝わってきた。
いわゆる大人への階段を登った、という事なんだろうか?
前しか見ていなかった、見る必要性しか感じていなかった赤也。
今のコイツは隣を見ることで得られる安堵や至福、周りを伺える余裕を感じる感覚も持ち合わせているんだろう。
それがただひとりの人間だけに向けられているんであっても、孤独な世界にひとりだけ立っていた王様だった赤也にしてみれば確かに違う世界に来てしまった感じなのかもしれない。
「大人になっちゃったんだなーオマエ」
「急いで大人になろうとしなくてもいいんですよ。ゆっくりでも誰もが通る道なんですから」
「そうはゆうてもそういう年頃ぜよ?まぁふたり手を取って行くんなら最後まで行きんしゃい」
「守ることも大切だが支えて貰うことも必要だぞ。ふたりで生きて行くというのは互いの気持ちがあってこそだ」
「そうだな。時にひとり前を行くことがあるかもしれないが必ず後ろを振り返れ。待っておけとまでは言わないが自分の道と相手の道が離れないよう気をつけろ」
「・・・・・・いや、おまえ等も話飛躍しすぎ!なんだかんだ言っておまえ等父ちゃん母ちゃん気質だな〜」
思わず真剣に口を開いてしまった4人にブン太が呆れた声を出すとバツが悪そうにそれぞれ視線を外した。
結局、口ではどう言おうとも皆、赤也が可愛くてしょうがないらしい。
苦笑をもらして、きょとんとした顔で部室を見回していた赤也へと視線を向けた。
「今の『世界』には神様がいる」
「え?」
「オマエ独りだけの世界なら神様はオマエかもしれなかったが、誰か他に人がいると言うんなら神様はもうオマエじゃない」
「ジャッカル先輩?」
「神様は全能じゃないからその『世界』が壊れることだってあるかもしれない。『世界』を守りたいのなら相手を愛しめ。絶対に裏切るな」
「・・・・・・」
ぽかんとしていた赤也だったが言いたい事はわかってくれたらしい。
考えるように視線を彷徨わせていたと思ったら、にやりと笑ってみせた。
「もちろんっス。だって俺は本当に福士くんしかいらないんスから」
自信を漲らせて答えた赤也の髪をくしゃりと撫でるとくすぐったそうに小さな笑みを返してくれた。

願わくば。
赤也と『あの人』の世界が永久の時間を刻みますように。
俺たちは違う『世界』からオマエをずっと見守っているよ。