例えて言うのなら、それは

あの人、前見えてんのかな。
一番最初。 あの人を見た時、危なっかしい人だと思った。

青学へ偵察へ行こうと思っていたのだ。
バスで寝こけていた俺は揺り起こされて聞いたこともないバス停で下ろされた。
眠っていたのは思いのほか短かったみたいで。時間はそんなに経ってないようでまだ明るかったのが助かった。
バスの時間を確認すると次のが来るまでに多少の時間。
ぼけっと待ってるのも性に合わなくて、バス停から離れると当てもなく歩き出した。
わりと静かな住宅地らしく近くに学校があるのか、制服を着た似たような年頃の人間がちらほらいたりして。
ネクタイしてれば違う学校だとわかるはずで、学ランタイプの制服らしいそいつらが通りすがりにちらりと視線を向けていく。
好奇心の視線に晒されるのは慣れてるから気にも止めない。
ぶらぶらとしばらく歩いていくと学校が見えた。
そんなに規模は大きくない。
同じ敷地に中学・高校・大学と建っている立海とは比べるまでもなく。制服や校舎、フェンス越しに見えるグラウンドだとかで公立だというのは確かめるまでもなさそうだ。
じっと目を凝らすとグラウンドの向こうにあったテニスコートと思しきところでわらわらと動く人影が見えた。
「あ、テニス部あるんだ」
見覚えのないユニフォーム。
偵察校に入ってないところを見ると強い訳でもないらしい。ふと湧いた興味もパチンと消えて。
つまんねーな。
口の中で独りごちたその時。
視界の端にどえらい荷物を抱えた人が見えた。
大きくも小さくもないダンボールを3つ縦に抱えたその人の視界が全く閉ざされてるのがわかって唖然とした。
歩くたびに一番上に積まれたダンボールの箱がぐらぐら揺れてる。
この学校の人間らしく、フェンスの途中に設けられた出入り口から校内へと入ろうとしていた。
行き過ぎてから、通り過ぎたのに気づいて慌てたようにまた戻って。出入り口を開けようとしたみたいだったけどダンボール3つを抱えて手は塞がった状態。
しばらく考えたようで片足を上げると太腿にダンボールを乗っけようとしていた。
一度下ろすとか考えないのかな。
危なっかしい状態にそんな事考えながらじっと見ていると、その人は上げた太腿にダンボールを乗っけて片手を出入り口に伸ばした。金網で出来ている出入り口が開いたなとわかった、その時。
さっきからぐらぐら揺れていた一番上のダンボール箱が、ちょっとしたバランスを崩して滑った。
「あ!ねぇちょっと、一番上のヤツ危ないっ!」
ヤバいでしょ、と思った時には声が出てた。
距離的にそんなに離れていなかったけれど、視界が閉ざされていたその人にしてみれば俺の存在なんて気づくはずもなく。
突然聞こえた大声に吃驚したんだと思う。
「え――わ、うわぁっ !!」
案の定というか何というか。驚いた拍子にビクッと身体を震わせて。
大丈夫だったはずの下2つのダンボールを落としかけた。
そうなると滑り落ちてくるダンボールの勢いまで加わって雪崩を起こしたのは当然。
「ぎゃあっ!」という間抜けな声と共に崩れてきたダンボールに押し潰されてしまった。
「うわーちょっと、大丈夫・・・?」
でもなさそうだけど、と思いながらとりあえず声をかけてみる。
注意を促したのは厚意からだったけど、この潰された人にしてみれば余計なお世話でしかなかっただろうから。
怒鳴られるかな。
そろりと近づくとMの字に座り両手で身体を起こしているところで。
咄嗟のことだったけど頭だけは庇えたみたいで見た感じ、怪我とかはしてなさそうだった。
「大丈夫?」
「――・・・・・・っ、」
「あ」
起き上がるのを手伝うつもりで手を出した。
腕を掴もうとして、聞こえてきた痛そうに小さく息を飲んだ声が聞こえてきて、慌てて見るとほっぺたに傷が出来てた。
落ちてきたダンボールで擦ったのか、斜めに走る3、4センチ程のスリ傷。
じわりと滲んできた血が小さな珠をつくる。
「そこ血が出てる」
「・・・・・・え」
伸ばした手でその人の顎を掴むと少しだけ上向かせた。
途端に目に入った、驚いた表情に思わず息を飲んだ。
「何、俺ケガしてんの?」
「・・・・・・・・・・・・」
「おい?血ぃ出てんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・あ、うん」
ほらココ、と指で突付くと痛かったのか眉根を寄せられた。
ちっちゃく舌打ちしたのが聞こえて少し申し訳なくなった。
そんな俺のことなんて気にも止めてないみたいで、その人はしかめっ面で指の腹で血が出てるとこを擦ってた。
その様子を至近距離でマジマジと見る。
一人称が「俺」だったし、体型的にも男だというのはわかった。
なのに俺の心臓はドキドキしっぱなしで。目の前のその人を見詰めるのに必死だった。
身長は俺と変わらないくらい、けど俺のがホンのちょびっと低いかもしれない。
柳先輩みたいな真っ直ぐな黒髪。俯くと揃ってない髪が表情を隠す。
身長は大して変わらないはずなのに随分と細身で、色が白い。
この人が男だとかそんな事頭にはなくて。
美人だな、と思った。
伏せられた睫毛も真っ黒で瞬きするたびに音がしそうだ。
「声かけてくれたのアンタだろ?」
「あ、うん。だけど、そのせいで怪我しちゃったね」
「まぁコレくらいなら日常的だし」
気にすんな。そう言うとその人はにこりと笑ってくれた、のだけれど。
俺はかーっと顔に血が上るのがわかって慌てて手で覆うハメになった。
うわ、この人カワイすぎ!
普通にしてると美人顔なのに笑うとものすっごく可愛くなるなんて反則もいいトコだ。
一重の綺麗な形をした目が黒髪の奥から俺を見てて。
突然真っ赤になった俺をきょとんと見る表情も可愛くて、座ったままのその人の前に俺も座り込んでしまった。というか、へたり込んだと言うほうが近いかもしれない。
「え・・・っと、アンタ?」
「わっ、はいっ」
「もしかして、どっかでか会った事ある?」
「や!それはないと思うけどっ」
首を傾げて顔を覗き込まれ、ざざっと後ろ手で後退った。
アンタみたいな人一度あったら絶対に覚えてるって!
でもそんな事言えなくて口をパクパクさせてると「そうかなぁ」とか呟いてて。
思わず苦笑をもらした。
この人、自分の事になんて頓着してないんだろうなぁ。色んな意味で危なっかしい。
一番最初に感じた印象も強ち間違ってなかったかも。
髪と同じ色をした瞳にじっと見詰められ居心地が悪い。
少しの間、見詰めあう形になって、その真っ黒い瞳に吸い込まれそうだと思った。
けど、それもホンの僅かな時間。
視線が揺らいだかと思うとふと明後日のほうを見て。
「あぁーーっっっ!」
突然の大声に吃驚したのは俺。
「あー!あー!」と指差されて、思わず眉を顰めた。
「オマエ、立海だろうっ!?」
キーンと耳鳴りがしそうな大声を上げて、その人は立ち上がった。
ぶるぶる震えながら俺を見下ろす視線が燃えているように見えるのは気のせいかなぁ?
制服のズボンについた埃を払いながら立ち上がると今度はその人が後退った。
「うんまぁ確かに立海の人間だけど」
「どっかでか見たはずだと思ったんだ!どの雑誌とかは覚えてないけど載ってたぞ!つか確かに載ってたっ!えーっと何だっけ、あぁ『立海の2年エース』!アレってオマエだろう!?」
「あーうん。立海大付属2年の切原赤也デス」
そう名前を言うと思いっきり顔を顰められてしまった。
わー美人さんはそんな表情でもやっぱり美人さんなんだねぇ。
リアクションはデッカいけど、そのおかげで美人特有の冷たさとかが消えて。そこがまた魅力的だよねとか思った。
・・・・・・ん?魅力的?
首を傾げた俺をどう思ったのか、後退った分、またズンズンと歩み寄ってきてビシリと人差し指を突きつけられた。
いや俺も人のこと言えるような出来た人間じゃないけどさ、人を指差すのあんまり良い事じゃないよ?
真田副部長に嫌というほど説教された覚えあるし。
けど何だか小型犬がキャンキャン吠えている様にも見えて、ちょっとだけ微笑ましかったりするんだけど。
「俺たちの偵察に来たのかよ!?」
「はぁっ!?何言って――」
「じゃあなんで立海の人間がココにいるんだよっ!」
「いや、だからそれは・・・って、え?」
「あ?」
ちょっと待って。今の会話から察するに。
思い当たった事に驚いて視線を向けると「うっ」と腰が引けたのがわかった。
わかり易い三白眼のおかげで眼つきが悪いと言われることはしょっちゅうで、ビビらせたかな?とは思ったけれど、これは確かめなきゃいけないでショ!
「アンタもテニス部?」
「アンタって言うな。おまえ2年だろう!?年上は敬いやがれっ!」
「ええ!?ってことは3年生?」
「ええ!?って何だよ。俺は銀華中学3年、男子テニス部部長だっつーの!」
「まじっスか!?」
俺の最後の一言にピクリと眉が動く。
いやいや見えないとかっていう意味じゃなく!
偶然のことに驚いたし、それ以上に。 嬉しかったんだ。相手もテニスしてて、雑誌に載ってた俺のこと覚えてるなんて。
だって、それって。
「うわーこういうトコでテニスしてる人と巡り会えると運命ってヤツ感じません?」
「何だよ、それ。つか、こういうトコってなぁ人んちの学校に勝手に来といてその言い草は失礼だろーが」
「あ。スンマセン」
「い、いや判れば別に・・・・・・」
あっさりと謝ると逆にうろたえちゃったりして。
しどろもどろで言葉を繋ぐのを見てると可笑しくなった。
やっぱ可愛いよ、この人。
結構乗せられやすいというか、簡単に騙されちゃったりしそうだ。
「ねぇ名前は?なんて言うの?」
「あ?」
「名前。俺、名乗ったよね?」
「あー・・・俺は福士」
「福士くんか。これ苗字でしょ?下の名前は?」
「・・・・・・・・・・・・」
ぐっと口唇を噛んだ福士くんが視線を逸らした。
言いたくないのかなぁ?何もそんな顔しなくても。
眉間に皺を寄せた福士くんは美人さの凄みが増しちゃってた。
まぁいいか。 何も今日だけじゃないし。
「ねぇまた会える?」
放りっぱなしで忘れていたテニスバッグについた埃を払いながら、そう口にした。
何でもない振りって結構難しいもんなんだ?
心臓がかなりの速さでドキドキと動いてる。
「はぁ?なんで――」
わざわざ会わなきゃいけないんだよ。福士くんはそう言うつもりだったんだと思う。
けどそれは俺が聞きたかった言葉じゃないから。
それ以上聞きたくなくて遮るように福士くんの手首を掴んだら、吃驚したようで目を見開いて俺を見た。
俺も吃驚したよ。
福士くん部長さんなんだよね?何、この細さ。
見た目からして細っこいなとは思ったけど、掴んだその手首の細さに驚いた。
いやウチの部長も線の細い人ではあるけど、よくよく見ればしっかりと身体は出来てるから。
まじまじと繋がったところに視線を落として、自分の手と福士くんの手を見比べた。
テニスしてて日焼けした、マメとかも出来てるごつごつした俺の手。
対して福士くんの手はテニスやってるのが嘘みたいに白くて、指なんかも節が目立つほど細かった。
綺麗だなーとじぃっと凝視してたら、思いっきり振り払われた。
「え」と顔を上げると、真っ赤な顔をした福士くんが俺を睨むように見てて。
「なっ何いきなり人の手なんか・・・・・・っ!」
「え、や、あの」
細いの自分でも気にしてんのかな?
俺に掴まれていた手をもう片っぽの手で隠すようにぎゅっと握りこんで。
口惜しいのか恥ずかしいのか、うっすらと涙を浮かべて俺を見詰めてた。
そんな福士くんと自分の手を交互に見比べてた俺は次の瞬間。
「わぁぁっ!」と叫び出したいくらい恥ずかしくなった。
うわーだってだって、俺思いっきり福士くんの手掴んじゃったよっ!
段々と首から顔へと血が上るのがわかって思わず顔の下半分を手で覆った。
つか何、俺どうしちゃったわけ!?
ひとりであわあわしてたら、その隙をつくように福士くんがダンボール箱もそのままに道路と校内とを隔てるフェンスへ向かって走り出した。
結構な高さがあるそれに途中で足をかけると反動をつけてトンと飛び越えた。
ひらりと体重を感じさせない動きで危なげなく向こうへと降り立つと振り返りもせず、また走り出そうとしたから俺は慌てた。
飛び越えた時の身体がラインが綺麗で、翻ったシャツの裾からちらりと見えたお腹も色白すぎだとかやっぱり細っこすぎじゃないかなとか、やっぱ部長ということだけはあるんだとか馬鹿みたいな事を考えてたんだけど。
このまま、この出会いを終わらせるつもりなんてなくて。
「ねぇっまた会えるよねっ!?」
試合中に出すような大声で福士くんの背中に問いかけると、ビクリとした福士くんの足が止まった。
のろのろと肩越しに首だけ振りかえった福士くんの顔はまだ真っ赤なまま。
逃がしてなるものかとじっと見詰めた。
「・・・・・・なんで」
「え?」
「なんで俺なんか」
舌打ちするみたく俯きかげんに福士くんがぼそりと呟いた。
そんな福士くんを見詰めてた俺は、にっこりと自分の中では特上の顔で笑ってみせた。
つられるように福士くんの顔にも小さく笑みが浮かんだ。
うん。やっぱ笑った顔のが似合ってるよ、福士くん。
それに気を良くした俺はもう一度、特上の笑顔を向けた。
立ち止まったままの恰好で俺の言葉を待ってる風な福士くんにぶんぶんと手を振った。
「だって俺、福士くん気に入っちゃただもん!」
その言葉に福士くんは呆れたような顔をした。
でも真っ赤な顔のまんまじゃ意味ないよ?
ぶんぶんと手を振ってるとしばらく経って福士くんが吹き出すように苦笑をもらした。
「バーカ!」
そんな言葉とは裏腹に福士くんも手を振ってくれて。
踵を返して尚、手を振り続けてくれた福士くんの背中を俺は見詰め続けてた。

神様、ステキな出会いをどうもありがとう!
今まで一度たりとも願った事も祈った事もなかった俺だったけれど今この瞬間、神様ってやっぱいるんだよ、なんて思った。
次会えるのはいつかな。
ワクワクしながら俺は銀華中学(覚えた!)を後にした。

もちろん福士くんがほっぽり出して行ったテニスで使う細々した物の詰まったダンボール箱を邪魔にならないようフェンスに寄せて。