ARTSTREET 始動。



以下の文章は『アートストリート』の運営に関わった都城市立美術館の学芸員・富迫美幸さんの97年度のレポートです。 あくまで美術館とは別の立場を貫き、作家の招聘もあえてせず、自らはサポートに徹しながら市民主体の美術展に賭けた彼女。 しかし、この形での実行でなければ現在「現代美術」と呼ばれているものは箱庭の中の出来事としてこの時代に生きる人々から 忘れ去られていくかも知れなかった…。私は常々同じような危機感を抱いていただけに大変な共感と頼もしさを覚えました。


どこからが美術?どこまでが美術?

〜美の住み家〜

都城市立美術館 学芸員 富迫美幸




<アートストリート’97>(以下ASと略す)は、都城市立美術館の<メッセージ’97  南九州の現代作家たち>展(以下MMと略す/光野浩一出品)と同時に開かれた、民間有志(M・A・P) による企画であった。何を思っての仕掛けだったのか、振り返ってみた。
私たちは「遊びの場」を持ちたかった。「私たちの私たちによる私たちのための遊び」を。 舞台も出演者も裏方も全部まとめて、身近な暮らしの1シーンを自らの手で創ろうと考えた。 それが「生きている」ということではないか。REALに、VIVIDに、しかもPOETICに 遊べたら言うことなしである。
「額縁」に入っていれば美術品であるかというとそうではない。額に入ってないからといって 美術でないわけではない。例えば、こどもの作品を見ながら「これは額に入れて飾って置こう」 と思ったときなど、そこに価値判断(識別)の目が働いていることを思い出して欲しい。 「どこからが美術、どこまでが美術」という問いを、実は私たちは日頃からやっているのである。 そのレベルはさておいて、その問いに囚われるよりも、もっと初源的に(世事の利益「評価」は 二の次)「モノを創る」面白さを、自らの手で実感したいと願った。それはある意味で自分探しの 行為であり、自分たちのCOMMUNITY探しでもあった。

一方の<MM>は、「都城とその周辺地域にゆかりの作家を紹介するという都城市立美術館の 従来の路線上の企画で、その方針自体には何らの変化もない。時代を反映して中味が真新しい ものになったから、「変わった」のである。毎年、作家調査を続けていくと、おのずと美術界の 動向が見え、私たちのまちに生まれた作家たちもそうした時代の動きの中にいるのが分かってくる。 たとえ一地方の郷土作家紹介展であっても、もはや、一途に団体展さえ見ていれば全てを網羅 できる、とは言えない時代なのである。かつて、団体展が前衛でありまた全てであった時代の 美術家にとっては、理解を超える向きもないではなかったが、前衛の形も、美術家の在り方も、 時と共に移り変わるのである。

<MM>は、都城市立美術館が、ひとつのものさしをあてて作家を選んだ企画である。 そのものさしの是非を最後に測るのは、「客」としてのそれぞれの主体的な視線。いつでも、 ものさしは外から当てられるものなのである。しかし<AS>は、はかりを自らの内に求めた。 客寄せとか、企画に箔をつけるとかで、名の売れた作家を呼ぶことをしていないのも、誰かを奉る ことで、外的なものさしが<AS>の中に朕入するのを用心深く避けているからである。 ものさしで測られながらでは「思い切って遊べやしない!?」から。

美術館を舞台にプロが 演じた<MM>。気ままな遊び人たちが、大道芸よろしく、巷で「芸術」の真似事をした<AS>。 いずれも現在進行形だ。<MM>で、藤浩志が、暮らしの空間にあったはずの「喫茶店」を 美術館に「展示」したように、私たちは、「額縁」に閉じ込められている「美術」を、 逆に<AS>でもとの巷に放流しようとした。<AS>は、「アートが街に飛び出した(アートが 美術館から生まれる)」のではなく、「アートはもともと巷に(から)生まれる。アート ストリート(絵心通り)は、生まれるべくして生まれる。」と言いたかった。つまり、自身の 手の中にそれはあって、そこから生まれてくるのだと。藤浩志の「喫茶店」のように額縁に 入らないものであっても、それがそのまま巷にあって、たとえ、展示という形式で「美術館という 額縁」に入っているのではなくても、そのものがれっきとした美意識の賜物であれば、つまり それは「美」の領域にあるのだ、ということを言いたかった。<AS>と<MM>、この形式の 異なる二つの提示の仕方は、ひとつの事象のポジとネガである。それを同時にぶつけることで、 私は、美に関する私たちの意識のわだかまり(ねじれ)を浮び上がらせたいと思ったのである。