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2009年12月15日以来、『光野浩一』をユーザーネームとしてイラストを発表する中国系の人物の存在が確認されておりました。 同様に、光野浩一(みつのこういち)名で掲示板またはそれに類するものの開設・アバター等の設定・それらの使用や書き込みを行うことはありません。
*ただし、震災の状況に思うことがあり、2011/5/22よりfacebook/ART FOR LIFE登録を行いました。適宜活用していきます。 |
自己と対面し、揺らぐ存在意識を確認する場を出現させること、それが私の仕事となったが、 そこに観るものに迫る表現や用意された解答は不要だ。かつて表現の拠り所とした絵画も所詮は 絵の具と手癖の集積に過ぎないのではないかというジレンマ…肉体不信の影響は素材の選択・ 製作/提示方法にも波及し、一切の手仕事の痕跡を消し去った。私にとっての作品とは、自らに 必要なリハビリテーションの道具であり、忘れてはならない感覚を呼び起こし再出発を目指すため、 いつでも立ち帰ることが可能な精神の道標なのである。
今なお語り継ぐ『メメント・モリ』。私は未視感や新鮮な感動といった現代美術の神話とは むしろ無縁な、誰もが超えられずにきた古風な問いを繰り返す。ありふれたレデイメイドを言語 とした表現がもたらすうつろで冷たい既視感。そこには相反する価値の混在による文脈の断列が 仕掛けられているが、それは日常に潜む私の宙吊りの自問そのものを表している。
自らの存在に対峙し確認し続けるための問い。なりふり構わぬこの行為が美術と呼べるか
否かは最早重要なこととは思わないが、それが現代社会とそこに生きる人々に共通した問題を孕む
限り、美術の名を借りながら発表し続けていくつもりでいる。
極私的なものが観客の思索を引き出し、そこから対話を生み出してゆくことは、そのまま私が
精神的な社会性を獲得してゆく過程に重なる。人間の存在に対する明確な解答は容易に導き出せず
とも、それを探求する姿勢の共振を確認することで生きることを実感できるのではないか…その
微かな期待が私を支え、また問いに向かわせている。