光野浩一(みつの こういち/KOICHI MITSUNO) |
1965年福岡県太宰府市生まれ。89年金沢美術工芸大学 油絵科卒業。 10代の一時期に体験した存在の自明性の揺らぎを表現の出発点とし、80年代よりレディメイドや発注品を 基にしたオブジェ/インスタレーションを制作する。初期の作品は相反する条件の混在・併置により、 自我同一性の確認が困難になる状況を提示し、人間存在を問うものであったが、近年の作品展開では個人と社会の関わりをモデル化することにより、世界の成り立ちや個人の精神的な生死を探っている。94年にパリ市営ギャラリー・エスパス=バトー=ラヴォワール(アトリエ『洗濯船』)で松谷武判プロデュースによるグループ展を開催。 また、地元紙を中心に美術文化に関するコラムなどの執筆も手掛けている。現在、宮崎県宮崎市在住。 |
略歴 | 参考文献 | |
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TV出演他 |
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Public Collection | ||
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光野浩一(みつのこういち)名で掲示板またはそれに類するものの開設・アバター等の設定・それらの使用や書き込みを行うことはありません。
(展覧会情報の告知を除く) *ただし、震災の状況に思うことがあり、2011/5/22よりfacebook/ART FOR LIFE登録を行いました。適宜活用していきます。 *当方、美術教育にも携わる身ではありますが、同姓同名の進学塾関係者とは一切関係ございません。 |
思春期の自分に突然湧き起こった日常性への懐疑…
歩き方や目のやり場にさえ覚える躊躇、両腕に対する収まりの悪い違和感、自己の行動を
冷淡に見つめるもう一人の自己の発見、無意識の過剰な意識、精神と肉体の断裂。
この奇妙な問題はやがて一時の熱病であったかのように忘れ去られたが、芸術の道を志し、
『なぜ描くのか』という命題に直面したとき、自己の存在確認のため不可避なものとして再び
眼前に立ちはだかった。
自己と対面し、揺らぐ存在意識を確認する場を出現させること、それが私の仕事となったが、 そこに観るものに迫る表現や用意された解答は不要だ。かつて表現の拠り所とした絵画も所詮は 絵の具と手癖の集積に過ぎないのではないかというジレンマ…肉体不信の影響は素材の選択・ 製作/提示方法にも波及し、一切の手仕事の痕跡を消し去った。私にとっての作品とは、自らに 必要なリハビリテーションの道具であり、忘れてはならない感覚を呼び起こし再出発を目指すため、 いつでも立ち帰ることが可能な精神の道標なのである。 今なお語り継ぐ『メメント・モリ』。私は未視感や新鮮な感動といった現代美術の神話とは むしろ無縁な、誰もが超えられずにきた古風な問いを繰り返す。ありふれたレデイメイドを言語 とした表現がもたらすうつろで冷たい既視感。そこには相反する価値の混在による文脈の断列が 仕掛けられているが、それは日常に潜む私の宙吊りの自問そのものを表している。 自らの存在に対峙し確認し続けるための問い。なりふり構わぬこの行為が美術と呼べるか 否かは最早重要なこととは思わないが、それが現代社会とそこに生きる人々に共通した問題を孕む 限り、美術の名を借りながら発表し続けていくつもりでいる。 極私的なものが観客の思索を引き出し、そこから対話を生み出してゆくことは、そのまま私が 精神的な社会性を獲得してゆく過程に重なる。人間の存在に対する明確な解答は容易に導き出せず とも、それを探求する姿勢の共振を確認することで生きることを実感できるのではないか…その 微かな期待が私を支え、また問いに向かわせている。 |
(97年春 都城市立美術館企画展 『メッセージ`97』カタログより) | |
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