光野浩一、某日の記憶のかけら。




Dec.30th.2014





福岡帰省。待つ人を欠いた寂しい年末。



見聞きしたものにもやもやが残る。

作品を発表すればもれなく作家やアーティストを名乗れるのか?


経済的自立が作家性のすべてでないにしろ、名乗るだけのリスクや責任、要求されるバックボーンがあって然るべきだろう、とは県内の若手の発表を見ての雑感だ。


世代は移り変わらず、フォーカスが変わる。見かけ上合わされていない者は図らずも頑固親爺の立ち位置に身を置くことになる。これが時代の構造かと気付いた。

一見アートに寛容な素地が出来たかのように見える宮崎だが、これは自分が望み戦ってきた結果ではないという寂寥感が頭を擡げる。

 

 


見せる・見てもらう責任の意識は作品制作と不可分であり、ポジションがどうあれそれに応え続ける他ない、疑いなくそう思っているのだけれども。