光野浩一、某日の記憶のかけら。




Aug.24th.2013






期限の迫ったホテル優待の消化。何もせずに天神で過ごすのも悪くない。


ねらいと言えば、三越で開催の友人・恩師のグループ展。

場所が場所だけに、商品としての完成度を意識してしまうのも無理はないが、事実それに応える仕事が立派に成されていたと思う。

大学時代、絵画の工芸性については良く議論したが、そのことが鮮やかに思い出される。



思考が画面の表層に留まることを嫌いながら、絵画と空間表現の間を右往左往する自分に対し、あくまで絵画の力を信じる友人。

「表面は大事だよ。」と、大森さん。

「たかが絵画」と漏らしたことを竹谷に咎められたこともあったが、その絵画を前に毎日悩み抜いていた。

そう言えば成田も「工芸的であることを要求されるのが嫌でな」と話していた。

前田先生は絵画の位置付けについてヤン・フートに食らいついていたっけ。もちろんヤンはあの調子で応酬した。

薄皮一枚の絵画表現、皆その奥深くに迫ろうと必死だった。



おめでとう。ここにあるのは間違いなくアンサーだ。 だが、みんな未だ見ぬ正解を探し続けるのだろう。

(上記のうち、今回の出品者は大森 啓 氏・前田昌彦 氏)