光野浩一、某日の記憶のかけら。




Mar.5th.2013






望まない引越し準備に明け暮れる毎日。とにかく連休くらいは出歩こうと決めていた。


東京。兎にも角にもフランシス・ベーコン。絵画を志していた頃からの目標。

現代美術がコミュニケーション指向でやたら開かれたものになることに疑問を持っているが、それは彼への共感に根差す。


まずは生き抜こうとする人間であること。寄り添う影のように表現が在ること。たとえ見苦しく足掻く生であっても、与えられる祝福の形。それが美術。


私小説が作品の理由付けになることを良しとはしないが、語らずとも感じる強度が確かに在る。




無論、他の展示も愉しまなければ勿体無い。背景を云々しなくとも「かわいい江戸絵画」に萌え(!)、「LOVE展」でジェフ・クーンズのからりとした悪意に唸った。


気になる作品に何気に出逢える、それが東京のポテンシャルなのだ。当り前の事実に感動を覚えると同時に、情報以上の記憶として残ることの難しさも考えてしまった。


まずは生き抜くことなのだけれど。