光野浩一、某日の記憶のかけら。




Mar-Apr.2013




スナップを撮る余裕の全くないこともある。この2ヶ月は、その最たるものだったろう。


仕事場の転居決定。環境としては望ましからず、気の進まない中、とにかく準備に右往左往する。



キリンジの新譜。どちらかと言うと兄・高樹氏贔屓ではあるが、弟・泰行氏の声あってのキリンジだ。兄弟ユニットとして最後のリリースとなるのは惜しい。


長年自分の心情に寄り添い、支えてきた歌であるのに。




仕事場や車中で愉しんでいたラジオ番組『SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI』も終了。


新シリーズの続行を匂わせておいての微妙な幕切れだった。


随分影響されてショットバー・サーチなどしたのだけれど、あの空気感はもう味わえないのか。



『都城をアートで面白くする会』 M・A・Pの解散。商店街でのアート展開については、国内でもかなり早期の取り組みであったように思う。


本来目的とした『遊び』を見失いがちであることと、メンバーの考え方の相違によるものが大きいが、


グループの義務や責任を負わずとも、好きな形で交流はできるだろう。ひとまず役割は終えた。


もちろん、寂しくはある。



叔母の逝去。いくばくも、とは言われていたが、それを思うと頑張ってくれた方だろうか。

気風の良い博多っ子でありながら、自分のことは後回し。倒れた時も、畳に齧り付いて入院を拒んだ。



遺品に自分の発表記事をスクラップしたものが見つかったという。自分の知らないところで気に掛けられている。

それなのに横たわる小さな体躯にも、焼かれた後の骨片にも、叔母その人と繋がる実感がないままだ。




身の置き所を失ったまま迎える春。気忙しさに流されるまま生きている。