光野浩一、某日の記憶のかけら。月一回、一日分のみ掲載。




May.27th.2012



 




熊本県立美術館分館・九州コンテンポラリーアート 熊本展。



分母の大きな展覧会参加。不安が無くもなかったが、制限の中での工夫や作家間の交流には得難い魅力がある。 お声掛けに感謝。


シンポジウム。 大学時代の合評と見紛う珍展開には呆気にとられたが、パネラー氏なりの方策ではあったようだ。

参加した中学生曰く、「一度世界中のアートをぶちこわして新しく創り直しては?」


 「破壊を望むなら眼を閉じなさい。創造したいなら見開くことです。それで済みます。」とはゲストの名言。



ローティーンならではの考えではあるが、アーティストにとり「はしか」のような想いではなかったか。

でもな。アーティストは君が思うよりずっと聞き分けがなくてしつこくて諦めが悪いんだ。毎日創っては毎日ぶちこわしているんだ。

そう生きることしか出来ないんだ。



何か懐かしいなと思っていたら、80年代に東野芳明が「日本の貸し画廊は良くない。一度全部閉めてしまったらどうか。」と書いていたのを思い出した。

いい大人が実際に行動した美術運動はというと、ダダをはじめあれこれあった。今やむしろその作品や行為は好ましくあるのだけれど、もう長い間、東野氏のことは忘れていた。

*六月は全くカメラを持ち歩かなかった。周囲を見る余裕などなかったのだろうか。