光野浩一、某日の記憶のかけら。月一回、一日分のみ掲載。




Dec.30th.2011



 




年の瀬・福岡天神。徹底した年末商戦での「身ぐるみ剥がされた感」が面白く、思わずレンズを向けたショウ・ウィンドウ。


制作を詰める最中だが、この数日は「何もしない」、そのためだけに帰省する。年賀状も年明けからだ。

明日になれば開いている珈琲屋もないだろう。2日ともなれば初商での大混雑だ。そのギャップが可笑しくもあるが、全く不便な休日だ。



顔を合わせて無事を慶び合える人々が居る土地。そこで過ごす平穏な数日間。

その幸せはひどく退屈ではあるけれども、未来永劫続くわけではないことも知っている。


平凡で退屈ということは無価値とイコールではない。それは切に望まれて作られる。


雑踏を味わいながら西鉄駅へ向かう。


今年ほど日常の意味を問うた年もない。