光野浩一、某日の記憶のかけら。月一回、一日分のみ掲載。




May.20th.2010




アラカワが亡くなった。

宿命の反転を追い求めた彼のことだ。 その世間的な意味に固執するのはナンセンスだ、まだ解らないのか、と呆れるに違いない。



だが、明らかに狭くなった今日からの世界はどうだ?新作への期待を挫かれた、この喪失感は何だ?

あなたは死なない。それは解っている。しかしそれでも、あなたには言葉を尽くし、作品を出現させ、豊かなブランクにあるものを指し示し続けて欲しかった。



昨夜、あなたの夢を見た。


この日のことを知っていた自分は、大規模な回顧展に慌てて出向き、そこであなたを見かける。

それなのに顛末を知らせる訳でも、残されるべき言葉を懸命に引き出すでもなく、サインのためのペンがないことにひたすら地団駄を踏む。

自分の下らなさを嘆きながらも明日の予定に焦り、古い木造の大阪駅で帰りの列車を待つ。


赤面するほどつまらない、愚かな夢。それでも記しておこう。

  死なないことを忘れないために。




(学生時代より敬愛し続けてきた芸術家/コーデノロジスト・荒川修作の訃報。5/19 NY)