九州の片田舎、まだまだ現代美術に向き合うこと自体が珍奇に思われる土地に居を構えていることもあり、好むと好まざるとに関わらず、そのスポークスマンとして立ち回らなければならないことも多い私です。個人的には現在の活動は思索の手段、または自ら行わざるを得ない投薬かリハビリのようなものだと考えており、別段美術として認知されずともお構い無しです。しかし、それがコミュナルな問題を孕むと思われる限りは現代美術の名の下、人前にさらし続けるでしょう。そしてそのようなことが他の作家や後進の方々にとっても少しでも自然な状況で行なえるように、微力ながら発言していきたいと考えます。

以下の文章は、地元宮崎日日新聞社からの依頼を受け、95年7月から翌3月までの半年間にわたって私が執筆し、同紙に掲載された記事からの抜粋です。

連載当初はお叱りも含め、結構大きな反響を呼びました。もともと中央の公募展信仰が厚い(と言うより、それしか認知されない問題を抱える)地元の方々に、少々ぎょっとして頂くぐらいの加減を心掛けて書いたのですが、今見直してみると「このような書き方で良かったのか?」と反省することしきりです。しかし、この状況・風土にたとえ一時でも美術批評の叩き台を提供できたことには多少なりとも意義があったのではないかと思います。

『宮崎・デュシャン以後』

 

「誰かがそれを芸術だと言えば、それは芸術である。」とは現代美術の父・マルセル=デュシャンの言である。この世に存在する全てのものは芸術作品足り得るのであり、最終的に芸術作品を完成させるのは、観る側の意識なのだとして二十世紀芸術の展開の重要なキーワードとなった。

レディメイド(既製品)芸術を誕生させ、手業を否定したこの言葉も、今日広義においては表現価値を見出したものをモチーフとし、支持体や材料を選択し、構造を練り、観る側のイメージに辿り着く従来の基本的な作品制作のプロセスを厳しく見直すものとして機能している。作家側にとっては、自らが提示したものが即、芸術視される事実に絶対の責任を負わなければならず、観る側にとっては積極的な解釈の姿勢を要求される代わりにその自由度が約束される。
もはや我々は何を観ようと、それが芸術かどうかを議論する必要はないし、自分の感じ方はおかしいのだろうかと悩むこともない。作品の良し悪しを決定するのは作家・観る側双方の問題意識の在り方なのである。それが現在、美術を語る上での大前提となっている。

しかし、残念なことに宮崎ではこの大前提が通用しない。作品を提供する側の企画の甘さや偏向が、観る側の健全な批評眼育成を妨げ、その結果に追随する悪循環を生んでいるためだ。
具体例を挙げてみよう。県内で行われる美術展のほとんどが、入場料を稼げる印象派を始めとした近代の表現主義的作品ばかりを扱う一方、現代美術の巨匠が老衰でこの世を去る昨今でさえ、その作品には出合えない。中央の公募団体展に関するものは相変わらず盛況だが、無批判な受け入れは観る側に芸術価値の 年功序列化を印象付けている。また、個展・グループ展は記念発表の意味合いが強く、その意義やねらいには疑問が残るものが多い。

これらの検証や反省はどのような機会に行われ、発表の現場に反映されてきたというのか。デュシャンの言葉から八十年を経た現在、本県が避けて通ってきた課題はあまりにも大きい。



(1995/7月12日・宮崎日日新聞)

 

 

『現代美術とは何か』

この曖昧にされがちな問いに対し、国際的インスタレーション作家・宮島達男の平易な言葉を紹介する。『作家は自分の問題意識を見つめています。それが浅いと個人的な問題で終わり(自己満足)、深いと周りの人々との共通問題に触れていきます。なぜなら、人間は生きている環境から影響を受けて作られており、一人一人の人間を掘り下げればその中で必ず、その時代や社会といった問題に突き当たるからです。』その問題意識を、素材や制作行為のレベルにまで浸透させた結果、伝統に囚われない自由な表現を獲得したものが現代美術と言える。

それは一部で言われるような時代の仇花ではない。思い起こしてみよう。遠近法は世界を神の創った舞台として捉える宗教的欲求から発明されたし、絵巻物は時間の概念を取り込んだ横スクロールの時事絵画として誕生した。いつも時代の理念を反映した美術は発明され、読み解かれ続けてきたではないか。

それでは美術が特定の用途や素材の制約から解き放たれた今、宮崎の作家はどう時代を捉えているか。実際問題として、地元作家の展覧会は多くとも、素材の妙に驚かされることは希だ。無論、安易な素材遊びの現代美術もあれば、熟考の結果のF100号・油彩もあろう。しかし宮崎のそれらに出会うとき、本当にこれでなくては表せない人生があるのか疑問に思うことが多いのである。その素材、技法、制作行為は如何なる必然から生まれたのか。その答えがなければ観る側は作品を読み解き、作家の内面を覗くことはできない。結果、その視座で社会を考えることもないだろう。

海外では世界規模の経済変動により、商業的に仕組まれていた美術運動が鳴りを潜め、真剣に現代美術を通して社会を見直そうという気運が高まってきた。もはや現代美術は前衛ではない。宮崎に於いて、現代美術がカルト宗教的な胡散臭さや、脳天気な身振りのイメージから解放され、真摯な眼差しで迎えられる日はいつ来るのだろう。



(1995/8月10日・宮崎日日新聞)

 

『暮らしの中の美術』

 

本来、美術は建築をその出発点としている。絵画も古来は壁面そのものであったし、そこから独立してからも婚姻や富の証明メディアとして機能した。日本でも浮世絵が今日とは異なる役割を果たしていたことが知られるが、言わばそれらは工芸品とは別の意味での実用性を備え、暮らしと共に在ったのである。

しかし、それ自身の美と意味を持って自立したところから美術の受難が始まる。それは暮らしの外にあって暮らしの内部を見つめるようになったのである。 「用の美」から離れた美術の用とは何か、という問題はとかく金銭の問題にすり替えられがちだが、その意識はかつて美術が富の象徴でありながらも着実に暮らしにも文化にも根付いていた時代のものとは大きく異なる。美術の用とは美そのものであるにも関わらず、音楽や文学から受けるそれに比べ、人々の感覚からあまりに遠い。抽象絵画は敬遠されても、ハウスミュージックは脱構築的な構造を過激なまでに孕みながら人々の暮らしに自然に溶け込んでいるし、文学作品の価値を本の装丁の豪華さや販売価格で語る人もまず居ない。 人々は日頃、形無き精神的なものにも十分に価値を見出せている筈なのだが、暮らしと美術との、この越え難い差異はどこから来るのだろう。

何をしていようと耳に入ってくる音楽や本を開いた場所で世界が出来上がる文学と違い、現実問題として美術は出会いの場所を選び、受け取る側の能動性を要求する。教育の現場や各種啓蒙活動の中での鑑賞教育が作品を読み解く楽しさに触れず、偉人伝での価値付けにすり替わってはいなかったか、再考の余地がありそうである。

美術はわからないという声をよく耳にするが、読めない言葉で書かれた書物に接すれば当然だ。しかし、少しばかりの知的好奇心と想像力がそれを解く鍵となり、新しい世界へ誘う。本来その鍵の使い方に誤りは無い筈である。県立美術館の開館に沸く今、その引き出し方・使い方を与える側・観る側双方で探ってみるのも良いだろう。



(1995/12月16日・宮崎日日新聞)

 

*追記:

執筆・掲載されたのは6回シリーズなのですが、ここにない残り3回分の行方について。
執筆当時開館成った宮崎県立美術館ですが、入場者数優先の旧態依然とした企画内容や独自性を欠く収蔵方針など、疑問の残るスタートとなりました。そのことに対して異議を唱えたものがあるのですが、 今となってはこの場で公開する必要性を感じません。その他、地元作家の制作・発表姿勢への苦言を呈した回もありますが、当時の状況より事態は好転しているように思います。
単にデータが取り出せなくなったものもあり、ここではこの3回分だけを御紹介させていただきます。

長い時間が経ちました。美術をめぐる状況も、私の考えも、ここにあるものから変化を遂げています。あくまでご参考までに。
  HOMEPAGE