九州の片田舎、まだまだ現代美術に向き合うこと自体が珍奇に思われる土地に居を構えていることもあり、好むと好まざるとに関わらず、そのスポークスマンとして立ち回らなければならないことも多い私です。個人的には現在の活動は思索の手段、または自ら行わざるを得ない投薬かリハビリのようなものだと考えており、別段美術として認知されずともお構い無しです。しかし、それがコミュナルな問題を孕むと思われる限りは現代美術の名の下、人前にさらし続けるでしょう。そしてそのようなことが他の作家や後進の方々にとっても少しでも自然な状況で行なえるように、微力ながら発言していきたいと考えます。 |
以下の文章は、地元宮崎日日新聞社からの依頼を受け、95年7月から翌3月までの半年間にわたって私が執筆し、同紙に掲載された記事からの抜粋です。 連載当初はお叱りも含め、結構大きな反響を呼びました。もともと中央の公募展信仰が厚い(と言うより、それしか認知されない問題を抱える)地元の方々に、少々ぎょっとして頂くぐらいの加減を心掛けて書いたのですが、今見直してみると「このような書き方で良かったのか?」と反省することしきりです。しかし、この状況・風土にたとえ一時でも美術批評の叩き台を提供できたことには多少なりとも意義があったのではないかと思います。 |
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*追記: |
執筆・掲載されたのは6回シリーズなのですが、ここにない残り3回分の行方について。 |
長い時間が経ちました。美術をめぐる状況も、私の考えも、ここにあるものから変化を遂げています。あくまでご参考までに。 |
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