仲間を想う詩
追 悼
仲間の死に哀悼を捧げる

 それは1本の電話から始まった。
 「細田さん、仲間の誰かが海に落ちたこと知っていますか。」私は慌てた。「誰が落ちたの?何も聞いていないよ」 
 午前10時過ぎに何人かの仲間達に電話したときは何も変わったことはなかった。
 まさに楽しいはずの釣り大会が悲劇へと変わった瞬間だった。
 大会に参加している仲間達に電話した。「誰が落ちたのか、自分の仲間達を確認してくれ」
 どうか、私達の仲間ではありませんようにと藁にもすがる思いだった。
 渡船から連絡が入った。やはり私達の大切な仲間だった。
 それも、一番若い徳村君だと分かった。私は、どの様に対処して良いのか分からず、気持ちはパニック状態になっていた。
 串木野の病院に運び込まれたと連絡を受けたとき、「どうか無事でいてくれ」と祈らずにいられなかった。
 大会を中止して港に帰ったときに、取り返しのつかない現実が待っていた。
 徳村君が帰らぬ人となったことを聞かされた。海上保安庁に行き、ひととおりの事情説明をし徳村君が運び込まれた病院へと向かった。

 悲しみに打ちひしがれた同礁者の肩を落とした姿があった。「下を向くのは良くないよ…」こう言うのが精一杯だった
 徳村君のお母さん、お兄さんの姿もあった。「すいませんでした…」後は何と言えば良いのか分からなかった。 
 お二人からは「余り気になさらないでください。」と逆に声を掛けて貰った。
 この時ほど自分の力不足を思い知らされたことはなかった。辛くて溜まらなかった。
 心中の悲しみは計り知れないものがあるはずなのにお母さん、お兄さんは私達を励まそうとしてくださった。
 
 4月19日朝から涙雨が降りしきる中、徳村君の葬儀が執り行われた。
 この時もお父さんにお詫び申し上げたとき、「息子の事故で釣り大会が台無しになって申し訳ありません」と逆に気遣ってくださった。こんなに優しいご両親に見守られて育った徳村君がどれだけ思いやりのある男か、改めて思い知らされた。
 私がもっとしっかりしていれば、といくら悔やんでも悔やみきれない。
 祭壇の写真に向かって手を合わせ、頭を下げた。これくらいのことしかできない自分が許せない。
 葬儀の終わりのお兄さんが徳村君に語りかけられた弔辞の中に、徳村君が家族に語った言葉があった。
 「俺は海が大好きだ。釣りが大好きだ。俺が死ぬときはきっと海の上だな」
 これほど海を愛した男だった。これほど海を愛した男が海に抱かれるようにして天国に旅立った。
 最近では都井の海でも、好釣果を上げるなど釣りの腕も順調に伸びていた。
 大物を手にしている彼の姿が目に焼き付いている。
 我々の九州真ぐれ会に2月に入会して来たばかりの、前途洋々たる若者だった。
 寡黙で多くを語らなかったが、これから彼には色んな事を教えていきたかった。
 神が許せるのであれば時を戻して欲しいと想っている。
 でも、それはどんな事があっても、かなわぬ事なのだ。私に出来ることは心からの安らかな眠りについてください、と手を合わせることだけだ。
 多くの友人を持ち、優しさ溢れるご両親、お兄さんに見守られて育ってきた徳村君の死を悔やみます。
 でも、いま真ぐれ会の仲間と共にご冥福をお祈りいたします。

 徳村君、君はいつまでも、いつでも九州真ぐれ会宮崎支部の大切な仲間です。 
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